ライフ・イズ・カルアミルク

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黒髪ロングはなぜエロいのか? ―黒ロンでたどる日本文化史―

「9月6日は黒ロン(黒髪ロング)の日」

ということで黒髪ロングでたどる日本史文化史、やります(やるぞ!)。

 

【黒髪ロングの誕生 奈良時代~平安時代】

日本における黒髪ロングの起源は言うまでもなく平安時代。誰もが知っている「平安美人」のヘアスタイルですが、それ以前の美人像とは果たしていかなるものであったか?

これは意外と知られていないし、知りたいとも思わない、あるいはまったく興味がないのではないでしょうか。

それでも説明しますけど、中国の美人像といっしょです。

平安時代のひとつ手前、都が平城京にあった奈良時代、文化を担う貴族たちはせっせと唐の文化を取り入れておりました。「進んでる中国さんをお手本にしよう」ということで、女性の理想像も当時の中国の王朝=唐のそれになります。

が、それから平安京に都を移してしばらくした894年、「白紙に戻そう遣唐使」で遣唐使を廃止、鎖国体制がスタートします。「俺たちには俺たちの文化がある!」ということで以降、日本独自の「国風文化」が育まれ、美の基準も変化していく。こうして日本固有の平安美人が誕生する。

 

さて、天平時代の日本の美女を描いた「鳥毛立女屏風」と「源氏物語絵巻」に描かれた平安美人を並べてみます。

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(左が天平文化の美人、右が平安時代の美人)

パーツは似てるけど、違うでしょう。どうしてこうなったか。

 

「鳥毛立女屏風」は唐風の美人です。

この画は輪郭線しか残っていないため白髪に見えますが、ここはもともと、羽毛で飾られていたそうです。おそらくはカラスか鵜の黒い羽毛が頭部に貼られ、艶やかな黒髪を表現していた。現在はそれが剥落した姿ですが、ここに描かれたるは紛れもなく黒髪の和製美人です。

当時のヘアスタイルは正確にはわかりませんが、おそらくは唐風に、ゆったりと大きく束ねてあったのだろうと推測されています。つまり「黒髪=美」の概念は平安以前から存在していたけれども、平安スタイルの垂髪はまだ流行しておらず、唐風に結うことが美とされていた。

平安美人のほうは、おなじみの黒ロンですね。美人です。

 

さて、両者の異なる点を並べてみます。

 

髪…唐風に結った黒髪 ⇒ 長く垂らした黒髪

服…動きやすい唐風の装束⇒10kg近くて動けない十二単

顔…大人の女性らしい肉付き。血色も良好⇒子どものような華奢さ。白粉で血色は不明

 

これらの変化が示すものは何か?

「肉体の肯定⇒肉体の否定」です。

要するに女性からアクションを奪った。女性のお人形さん化、二次元化ですね。

めんどくさいからという適当な理由で遣唐使を廃し、京都に引きこもった平安貴族たちは、結果的に女性を観念の世界に閉じ込めるオタクと化していきます。

平安美人の長い垂髪は長ければ長いほど美しいとされ、長い女性は2m以上あったそうですが、当然これはものすごく動きにくい。十二単はそれだけで10kgを超えるほどで重く、ものすごく動きにくい。平安時代の女性たちは、着物の重みに耐えきれずほぼ終日腹ばいで寝ていたそうです。物思いにふけるとすぐ横になるのも無理ないことでした。

そしてさらに当時は食事も粗末とくれば、筋肉も脂肪も発達せず、女性らしい丸みを帯びた身体は失われ、血の気も退く。そうして女性は、ますます出来のいい人形と化していく。

こんな状況が300年近くも平和に続いてしまったのが平安時代のおそるべき点ですね。エロゲーというか、怪奇小説の世界だ。

 

こうして黒ロンは「お人形さんの美」の象徴として定着します。「洋館に閉じ込められたお人形のようなお嬢様」といえばまず間違いなく黒ロンですが、平安時代の女性は全員がそうなっていく。

 

以下は蛇足ですが、創作に割とありがちな、洋館を舞台にしたいかがわしい物語って「魔性の美少女をめぐって争いを繰り広げる、欲深い男たちの陰惨な物語」って感じでしょ。ところが洋館でなく和風の寝殿造を舞台に妄想が繰り広げられた平安時代は「女性を所有する」という西洋的な発想がないんですね。

だから女性はお人形でありながら、誰も独占しようとせず、みんなでシェアする。当時は多夫多妻が当たり前で、そんな「紳士の時代」だからこそ女性を巡る争いもそうは起きず、平安時代は300年にわたって平和が保たれたっていう、まあ何が平和なのかわかりませんけど、そういう時代もあったんですね。

男性も女性も平和な妄想の世界、酒池肉林のシルバニアファミリーみたいなイメージと言えば怒られそうですが、そうかもしれません。

 

【黒髪ロングはなぜエロいのか】

黒ロンの話に戻します。

平安時代、女性の美の基準は「髪が長くて艶やかである」だけでした。

それもそのはず、高貴な女性は御簾の向こうに隠れていて、男性が見ることを許されるのは、御簾のすきまからのぞく「十二単の端っこ」と「長い髪の毛の端っこ」。この2つしかありません。

 

「服のセンスいいな」「髪がきれいだな」しか判別する要素がないという話で、髪型と服を取りかえただけでブサイクは美人になりかねない。

なんだか変な感じもしますが、現代で言えば「判子絵」はこれと同じですね。顔のパーツはみんな同じで、服と髪型を変えれば別の人間になってしまう。でも全員美少女っていう。判子絵を描く人にとって女性の理想像はただ1つしかなく、現実が平安貴族みたいに見えてるのかもしれない(あるいは単に絵が下手なのかもしれない)。

絵巻物に描かれる平安美人はみんな同じ顔ですし、浮世絵の女性もだいたい同じ顔してますし、美人っていうのはそもそも「判子絵」なんですけどね、多くの文化では。美人とはそもそも観念の中の存在で、固有の肉体を持ったものではない。だからあんまり判子絵をバカにするもんじゃないぜと思うんですが、脱線でした。

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(先ほど貼った「源氏物語絵巻」のズームアウト図。顔どころか角度まで同じ)

 

話を戻して、セックスの話をします。

「まぐわう」という言葉、現代では「セックスする」の意ですが、これは平安時代に生まれた言葉で、語源は「目合う」でした。「目が合う」がそのまま「セックスする」そして「結婚する」をも意味したのがこの時代でした。(「見る」という言葉も「セックスする」「結婚する」の意味があります。これは高校の古典でやったな)

平安時代とは、男性が女性の顔を見てしまった時点でセックスの合意が成立、そのまま男が3日連続で女の家に通えば結婚が成立、という現代から見ればむちゃくちゃな時代でした。「目が合った=即結婚」とはオタクの妄想でもふつうそこまでジャンプしないですね。観念的にもほどがある。

 

現代であれば、たまたま女の子と目があって「あの子、俺のことが好きなのかもしれない…」と思い込んでしまう男は「自意識過剰キモ男」で済みますが、平安時代に「自意識」なるブレーキは存在しない以上「目が合った⇒即セックス」。C級エロアニメかよ、という話ですが、これを理解しない女は「趣がない」として悪いうわさの対象となります。この閉鎖された都において、悪いうわさが立つのは何よりも怖いことですから、男も女もそこだけは気をつけていたというか、そこに気をつける以外に何もない時代でした。へぇ~。

***

ところで平安時代、髪の毛はわれわれが思う以上にエロティックな存在でした。

考えてみれば髪の毛とは、「自分の肉体の一部でありながら、しかし肉体と呼べるか怪しいもの」であります。髪は自分の体から生えてくるけれども、その細胞自体は死んでいる。切り落とせば自分のものではなくなる。

自分と外界のあいだに存在する、中間的な存在が髪の毛です。だからこそ女性の体が男性の視線に晒されてはいけない時代に、髪の毛を見せることだけは許されたのです。つまり髪の毛は他者を迎え入れるためのインターフェイス、コミュニケーションの入口として機能しました(って言うとかっこいいけど意味がわからんな)。

 

平安時代、女性は成人すると黒髪ロングのお人形さんになりました。

人形になる前、髪が伸びない子どものうちは「尼削ぎ」という肩まで切りそろえた髪型で、成人してから「こんなただれた世界は嫌だ!」と出家して尼になるときも、伸びた髪を切って「尼削ぎ」になる。つまりこの当時、男性を受け入れられるのは黒ロンの女性だけだったということです。

「髪の毛を伸ばしている」とは「男性を受け入れる準備ができている(=私はセックスOKよ)」を示す記号でもあったわけです。黒ロンに漂うエロスの理由はこれかもしれませんね。今でもエロスを感じるのだから、当時の黒髪は、どれほど生々しいエロスを漂わせていたことでしょう(実際、イスラム教徒の女性がスカーフを頭に巻いて髪の毛を隠すのもこれです。髪の毛を人目に晒すのをめちゃくちゃ恥ずかしがる)。

 

【黒髪ロングはギリギリモザイクである】

この時代の黒ロンは、女性にとっては「お人形であることの象徴」です。

では、男性にとっては、どのようなものだったか?

品格のあるたとえをするなら、AVのモザイクです。

モザイクはたしかに肉体を隠してはいるけども、イマジネーションを膨らませれば見えなくもない、そういう中間的な領域です。

平安貴族は女性の長く伸びた髪の端を見て、AVのモザイクを見てしまったレベルに興奮し、「ありのままのそれが観たい!!!」と御簾の向こうへ突進していった。だからこそ光源氏のように「恋多き男」になるのだろうし、一度結ばれてしまったらめちゃくちゃ冷たい、という悲劇も山ほど出てくることになる。モザイクを取ってしまったら、意外と味気ないもんですからね(知らないけど)。平安時代、女性と恋愛するのは、現代で言えばネットでエロ動画漁る感覚に近いものだったと思われます。

 

ところでアダルトコンテンツの局部にモザイクをかける文化なんて日本だけだそうで、なるほど「国風文化」であるなあと思います。

考えてみれば、黒髪の端に欲情するのも、モザイクに欲情するのも、人間離れした造型のアニメキャラに欲情するのも、もしかしたら全部異常ではないでしょうか。たかが記号に全力で欲情するのは、今も昔も変わらない。

黒ロンは清楚の象徴どころか、ジャパニーズHENTAIの起源だったのかもしれません。

 

※めちゃくちゃなこと言ってるようですが、この時代がめちゃくちゃなんです。平安時代の色恋事情は橋本治『源氏供養(中公文庫)』が異様におもしろい。源氏物語は紫式部という極めて冷静な観察眼を持った女性が描いた、イカれた閉鎖世界のレポートかもしれない。

 

【黒ロンの断絶 平安時代~江戸時代まで】

黒ロンを汚しまくってますが、最後にはなんとかします。安心してくれ。

 

さて「黒髪ロング=女性の美」は江戸時代のはじまりとともに終わり、江戸からは日本髪の流行がはじまります。なぜ黒ロンは途絶えたのか。

答え。京都が文化の中心から外れるため。

 

黒ロンの全盛期を生んだ平安時代は鎌倉幕府の成立により、その栄華を終えます。終えますが、京都はまだまだ文化の発信地。なにせ鎌倉幕府は武士政権、文化なんてなにもない農民出身の田舎者たちの集まりですから、文化については京都のそれを参考にするしかなかった。

その一方で、鎌倉時代は武士の時代ですから、男が肉体を主張しはじめます。平安時代の貴族の男は、肉体を軽視した観念的な存在でしたが、農民はマッチョです。だから男性の理想像は運慶が彫った「仁王像」のような力強いものになる。が、女性はまだ肉体を持たないお人形さんです。男だけが社会を作って、女性はお人形さんのまま放置される。だから鎌倉時代、黒ロンは美です。

 

鎌倉の次が室町時代。京都に本拠を置く室町幕府は朝廷と仲良し。京都の文化と調和するため黒ロンは相変わらずの美ですが、足利家の支配体制は次第に崩壊。室町幕府の力が弱まるにつれ、全国に群雄割拠する戦国時代へ突入します。

乱暴者の織田信長が天下統一をして黒ロンはいよいよ消滅の危機か…?と思いきや、安土桃山時代は文化の中心を大阪に置き、ご近所の京都の文化はまだ健在です。大河ドラマを思い浮かべればわかるとおり、豊臣秀吉の側室、淀君は長い垂髪ですね。これが最後の黒ロンでした。

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(最後の黒ロンこと淀君。さすがに武士の妻、平安美人ほど人形してない感じである)

徳川政権の江戸時代に入って「これからは武士の時代だ!」と、当時はまだド田舎であった江戸を文化の発信地にしようという動きがはじまる。こうして京都は、平安以来はじめて、文化の中心地から外れ、黒ロンの歴史も絶たれます。

 

さて、江戸における結髪の流行は、歌舞伎役者「出雲阿国」にはじまります。

江戸初期に流行した「遊女歌舞伎」は、名前のとおり遊女(風俗嬢)が演じる歌舞伎。だから遊女が男役も演じます。そこで遊女歌舞伎界のカリスマ、出雲阿国が頭に髷(まげ)を結い、男役を演じるのですが、文化といえば歌舞伎と風俗しかないド田舎の江戸でこれが大いにウケた。ここから江戸の女性たちは遊女のマネをして、髷を結うようになります。

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(江戸初期の遊女たちを描いた「松浦屏風」。この時代は垂髪と結髪が共存し、結い方も自由)

風紀委員のごとく厳格であった春日局(3代将軍 家光の乳母で、大奥システムの開発者)まで晩年には髷を結ったというのだから流行は本物で、結髪は江戸時代の正式なスタイルとして定着していきます。

なぜ地位の高い彼女まで、下層民のマネをして髷を結ったのか。どうして下層階級の文化をわざわざ取り入れたのか。

それは、彼女が武士の妻だったからです。武士の妻である以上、髪をだらんと垂らしているより、結ったほうが活動的でふさわしい。京都の文化を引きずるのもしゃくであるし。

と思ったかどうかは知りませんが、こうして黒髪ロングの時代は終わり、髪を結う時代がはじまる。そうして結い方も洗練され、日本髪の時代が到来します。女性はお人形さんから、男性と同じく肉体を持った人間として生きはじめるのです。

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(江戸時代後期、喜多川歌麿「北国五色墨 川岸」の日本髪美人。「肉体を持つ」とは「おっぱい晒す」の意味では当然ない)

 

しかし、女性を解放したはずの日本髪も「ちゃんと結わなければダメだ」という制度に変化していく。自由とは難しいもので、みんながマネをしはじめるとルールに変わってしまうんですね。

今でこそ「髪型は趣味の問題」と当たり前のように思いますが、昔は髪型や服装といったディテールこそ本質で、内面なんかどうでもよかった。そういう時代の方がずっと長く続いてきたわけで、現代は特殊なんです。

人間とは無数のディテールの集積であり、ディテールとは無数の歴史の集積である。

「たかが黒ロン」と侮るなかれ。そこには膨大な歴史が渦巻いているのです。

 

【現代の黒ロンを語る前に…】

…というわけで、黒髪ロングは江戸で断絶します。

現在の黒ロンブームは「第二次黒ロンブーム」と呼べそうですが、しかし本当にブームなんだろうか…?

 

ブームなんです。

 

書き忘れていましたが、この記事は下記の催しのために書かれました。

 

「黒ロン祭2013 開催のお知らせ」

http://d.hatena.ne.jp/mercury-c/20130905/1376663904

 

主催の水星さんは、普段は紳士なのに黒ロンのこととなると常人には理解しがたい情熱を示す、よくわからない人です。

どうしてこんな黒髪キチガイが現代に、僕と同世代に生まれてしまったのか。これはその謎を解きほぐすための、ごく私的な記事でもあります。そしてごく私的なことを考えるのにこそ歴史は役立つ、という教育的な記事でもあるんですよ、これは。はだしのゲンを図書館に置かないから俺が歴史教育をやるんだ。

***

オナホ男はじめ教育的によろしくない文章ばかり書いてきた人間が何を言うんだって話ですがさてそれはともかく、本当に黒ロンの波は来ているのか。

たしかにアニメや漫画に、黒ロンのキャラクターが増えてるとは思う。黒ロンの女優、アイドルも増えた気がする。気がするだけで、統計的な事実を示せと言われると困ってしまうので、「だって、ここに黒ロンキチガイがいるじゃないか!」で逃げます。勘弁して下さい。

 

参考:【二次元】アニメに登場する黒髪ロングな女キャラまとめ

http://matome.naver.jp/odai/2135597611927336901

 

…さて、黒ロンの歴史に断絶がある以上、平安時代と現代の黒ロンをストレートに結ぶわけにはいきません。「女性差別の復活だ!」「黒ロン好きのオタクはキモい!」と言い立てるのは、ちょっと待ってほしい。

平安時代には黒ロンは先述のとおり時代(というより時代を作った男たち)の要請がたしかにありました。女性は黒ロンにする必然性があった。しかしいま、黒ロンにすることにはどんな必然性があるのか…?

必然性はありません。この自己決定の民主主義の時代、黒ロンは「自ら選び取るもの」です。

そしてそれが、いったいどうだっていうのか…? 

 

ということで、黒ロンの日本文化史、歴史編は終わり。

次回は「現代黒ロン文化論」と題して、現代の黒ロンの特殊性について、そしてなぜ今後、ますます黒ロンブームが来ると言えるのか。一席ぶちたいと思います。

 

続き:「少年は黒髪ロングの夢を見るか?ー黒ロンから見た現代のドラマ」

http://johnetsu.hatenablog.jp/entry/2013/09/06/225928

 

 ※本稿は橋本治「ひらがな日本美術史(全7巻)」に多大な影響というか全面的な影響を受けております。驚異的におもしろい。

http://www.amazon.co.jp/dp/4104061018

「少年は黒髪ロングの夢を見るー黒ロンから見た現代のドラマ」

続きです。

前回:「黒髪ロングはなぜエロいのか? ―黒ロンでたどる日本文化史―」

http://johnetsu.hatenablog.jp/entry/2013/09/06/204003

 

【前回のおさらい】

平安時代から江戸時代まで黒ロンが流行ったけど、江戸からは日本髪になった。

 

ということで江戸の日本髪が「女性も活発に動きたい!」という男女平等の象徴であるならば、平安の黒髪ロングは「女性を二次元世界に閉じ込めたい!」という男根主義の象徴でしょう。*1

 

だからこそ「黒ロン好きはキモオタ」なんてイメージも出てくるのだろうし、そもそも本稿のあまりにもあまりな物言いでは、「黒ロン好き=キモい」と思われても仕方がない。それは僕が全面的に悪いのですが、しかし本当にそれだけなのか。本当にキモいのか。

いや、黒ロン好きはキモくない。キモくないです。キモくないかもしれない。

説明するぞ!

 ※本稿、話が膨大で言いたい放題なので、意味がわからないところは飛ばしてください。

 

【男女平等時代の黒ロン】

現代、男女は平等です。少なくとも建前はそうで、「女は男に従え」なんて言おうもんなら、政治家・芸人・もんじゅくんの誰がツイートしてもまず炎上します。平安時代のように「男に顔を見られたら性交渉を拒めない」という非情なまでの男女差別は存在しない。

 

もちろん現代は髪型も自由です。「男からのアプローチを受けるため、女性は黒ロンにしなければならない」などという因襲は面影もない。ではなぜ、この男女平等が是とされる現代に黒ロンなのか。これは瑣末なようだけど、現代を語る上で避けては通れない、非常に重要なテーマです。

 

【自由ってせつなくないですか ~黒ロンから遠くはなれて~】

何も髪型にかぎらず、現代は自由の時代です。が、自由が幸せだとは限らない。

「人間は自由の刑に処せられている」と言った思想家もいましたが、「何でも自由にしていいよ」と言われると、我々は困ってしまう。「何でも自分で判断する」というのは、人間にはかなりしんどい。そうして「自由はしんどい」と感じた国民が判断を放棄して、流れに身を任せてしまった結果がナチスドイツの全体主義だった、とは「自由からの逃走」を記したE,フロムの分析ですが、やっぱり自由ってせつなくないですか。

自分を束縛する悪は存在しない(ということになっている)この時代は、悪と闘うドラマが存在しない時代です。ドラマを起こそうとして無理やり闘うべき悪を探せば「ユダヤ人こそ諸悪の根源である!」と断言するヒトラーに取り込まれてしまう…というのは対岸の火事ではまったくなく、日本海の向こうのアジアに敵を見出してしまう現代のネット戦士はそんな感じだと思う。

戦後民主主義の定着以降「われわれは自由だ!」が前提としてある一方で、やっぱり自分は自由ではない気がする。何者かが自分を縛り付けている気がする。しかし縛り付けている何かと戦うことはできるんだろうか。

 

というところで、「悪の正体はわからなくても反抗する」というドラマが誕生します。いったい何のことかと言えば、尾崎豊のことですね。

 

尾崎豊のことですね】

高校生の尾崎豊は早く自由になりたくて夜の校舎の窓ガラスを壊して回りましたが、「卒業しても何も変わらない」「仕組まれた自由に誰も気づかない」「結局、自由になれなかった」と自らの敗北を宣言し、自死します。

この当時、尾崎が共感を得たのは、「見えないけど自分を縛る何かがいる」という感覚が思い悩む思春期の少年少女の間に共有されていたからでしょう。反抗したくてもできない彼らの代わりに、尾崎豊は反抗してみせ、そして案の定、失敗した。

 

そういう戦いが「なんで見えない敵と戦ってるんすかw」と笑われてしまいかねない現代、「見えないから敵はいない」が当たり前になっているのかもしれません。

(余談ですが、「放射脳」をめぐる話はこれですね。「見えない敵はいない」「想定できない危険は危険ではない」とされる世の中で、「見えない敵」である放射能が復讐をしかけてきたのは必然であった)。

 

悪が存在しえないこの時代、反抗はもはやお笑いじみたものでしかありえない。それでも笑われる覚悟で反抗の姿勢を取りつづけた尾崎豊は、時代遅れの騎士道精神でもって風車に立ち向かい続けた、あのドン・キホーテを思わせます。敵が風車のようなものだとわかっていてもなお、人間は戦い続けなければならないのか。尾崎豊が残した問いかけはそんなものだったと、「卒業」を聞いて涙をボロボロ流す俺は思います。

 

オウム真理教エヴァンゲリオン

さて、尾崎の死から3年後の1995年、地下鉄日比谷線構内で猛毒のサリンガスを撒いたのは、新興宗教「オウム真理教」の信者でした。

90年代初頭にバブルがはじけ、戦後の日本を支えてきた「経済成長」というドラマもついに終わり、人々が生きる方針を見失い、ただ「自由」という漠然の中に置かれたとき、若者に生きる指針を与えてくれたのは、皮肉なことに新興宗教しかなかった。麻原彰晃の毛髪がボサボサに伸びた=自律を欠いた黒ロンなのは象徴的かもしれません。

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(美学なき黒ロン。おのれの妄想のままに生きた彼は、黒ロンのダークサイドと呼ぶにふさわしい存在かもしれない) 

 

自由の重みに耐えかねた人々は、「こうすればいい」と答えを与えてくれるもの、イデオロギーや宗教にたやすく身を委ねてしまう。長らく宗教を遠ざけてきた日本人は「信仰」という行為がいかなるものか、わからなくなっていました。

ところで黒ロンの美とは「何も信じられるものがない世界では、自分が自分を律するしかない」というやせ我慢じみた覚悟から生まれるものです。そう、信仰なき世界における信仰。

オウム真理教がもたらした混乱とは「安易に信仰というものを発見してしまった人々」と「信仰がわからずパニックになってしまった人々」の衝突にありました。

 

***

 

同じく95年、社会学者の宮台真司が「終わりなき日常を生きろ」とメッセージを打ち出し流行語となりますが、これは「ドラマのない日常に満足しろ」という意味ですね。「はじまりと終わりがある」からこそのドラマで、それが存在せずだらだらと続く作品がたとえば「日常系」と呼ばれます。

「日常系」とは正しく現代の要請に応えて出てきたものではあるのですが、そこに大前提としてあるのは「ドラマのない日常は善である」という思想。そこでは「ドラマのない日常は本当によいのだろうか?」という疑問は最初からないものにされる。

 

同じく95年から放映開始された「新世紀エヴァンゲリオン」は最終2話で突如としてシナリオを崩壊させます。日常系アニメのような架空の学園ドラマを露悪的に描き、脚本すらそこに写し、最後は今までのドラマを自己啓発セミナーじみた茶番に回収させ、現代でドラマを作り出してしまうことの欺瞞を自ら暴き立てる。「ドラマは死んだ!」と宣告したそのアニメが空前のブームを巻き起こし、人々はそこに拍手を送る。時代はそのようにして行き詰まっていました。

 

【ドラマなき時代の黒ロン】

めちゃくちゃ端折ってるのは申し訳ないのですが、ということで、ドラマが死んでしまったこの時代。

 

無理やり敵を見つければオウムの道へまっしぐらであり、敵がわからないまま反抗すれば尾崎豊と同じ末路をたどり、もうドラマは終わったんだと庵野秀明は宣告する。

そうして残されたのは、敵もわからず手足もふさがれた、ただ暗くぼんやりと広がる日常です。

 

その日常をあなたは肯定できるのか。

肯定できない人間はどうすればいいのか。

日常を肯定できない人間のために、ドラマは存在したはずじゃないのか。

 

世の中にドラマは起きず、ただぼんやりと物思いにふけり、毎日を気晴らしでやり過ごすしかない我々は、まるであの平安時代の「お人形さん」ではないか。

 

お待たせしました。

 

ドラマなき世のドラマの担い手、「黒ロン」の出番です。

 

【黒ロンはドラマの申し子である】

いまやドラマを担うべきは「お人形さん」である、という地点から、黒ロンのドラマはスタートします。自らの「お人形さん性(?)」を徹底させるべく「黒髪ロング」という抑圧をあえて引き受け、その後に抑圧からの解放を目指すことで、ドラマの達成を夢に見る。ドラマなき時代のドラマ。これこそ黒ロンの現代的意義でしょう。

 

少女は黒髪を伸ばすことで、リアルな肉体を持つことが禁じられた、平安美人が抱えた困難をあえて引き受ける。外の世界に悪を探すのではなく、自ら悪を背負い込む。悪のいる場所にしかドラマが発生しないならば、自らを悪が存在する場所にすればいい。

そしてその自らまとった悪からの解放を目指すことで、ドラマを発動させる。これが現代の黒ロン。屋敷に閉じ込められた従順な黒ロンではなく、ドラマの主役を演じる躍動する黒ロンです。

 

そして黒ロンを背負うのにふさわしいのは、リアルな肉体を持ちえないアニメ・漫画のキャラクターであり、続いてアイドルや女優といった芸能人である。お人形さんだったはずの黒ロン美少女が、意志を持って動き始める。

 

ブラック企業」だなんだと言われる世の中ですが、世の中全体がブラックかもしれない世界で、自らブラックを背負うことで世界の悪を自分の中に引き受ける。それが黒ロンこと「ブラック・ロング」の倫理と言ってしまえばこじつけでしょうか(いや、こじつけではない)。

 

平安時代の「受け身の黒ロン」から、現代の「攻めの黒ロン」へ。

悪を抱えてなお自らを律することができるのか、それとも己を取り巻く世界の欲望に取り込まれてしまうのか。その危ういバランスこそ現代的黒ロンの魅力であり、戦士としてふさわしい存在である、と書けばこれが何の話かおわかりでしょう。

魔法少女まどか☆マギカ」の話をします。

 

【黒髪ロングの魔法少女】

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暁美ほむら。就活中、幾度となく一次面接で落とされ、円環の理に導かれそうだった俺を救ったのは、ニコニコに入り浸って見続けたまどマギのMADであった…)

 

本作においてドジっ子三つ編み少女、暁美ほむらは、自分に救いの手をさしのべてくれた鹿目まどかを蘇らせるために、何度でも過去へ遡り、自分がまどかを救うため戦うのだと決意をします。

決意をした瞬間、彼女は髪留めをはずし、三つ編みからロングの垂髪へと姿を変える。彼女は何にも縛られず、自分で自分を縛る道を選択する。

 

アニメの世界に生きる魔法少女は、言うなれば現代に生きる平安美人です。

先に述べたように、平安美人とは現世の男性の欲望を過剰なまでに引き受けたバーチャルな存在です。だからこそ暁美ほむらは、十二単よろしく魔法少女のコスチュームという呪われた意匠を身にまとい、黒髪ロングという業を引き受け、そこからの解放を目指す。そうしてはじめて、ドラマが生まれうる場所が誕生します。

 

魔法少女が抱えるグリーフシード(欲望の種)は、名前のとおり魔法少女が抱え込んだ業の象徴です。

まどマギの話をしたらそれだけで10万字を超えかねないのでやめますが、ほむらは物語の最後、自らの業とともに一人で歩む決意をしています。もとのドジッ子三つ編み少女に戻るのではなく、黒髪ロングという業とともに凛々しく生き続ける。

己を貫くブラックから解放されるハッピーエンドは未来永劫ありえないとしても、それでもなお、運命を受け入れ、戦い続けなければならない。これがまったく説教くさくならないのがすごくて、現代においてドラマとモラルを両立しようとすればこれしかありえない、くらいのものだと思います。

 

脚本の虚淵玄が「長い間、バッドエンドしか作れなかった」と言っていたのは、この人がモラルの人だからですね。現代においてモラルを優先すれば、ドラマは挫折するしかない。ドラマを優先すればモラルは崩壊する。それでも彼はドラマを作り続けねばならず、しかしドラマを作る葛藤の中で最終的にモラルを選び続けてドラマを失敗させ続けてきたまじめな人だった(うっ、深入りしてしまう…)

 

悪が存在しないからこそ、自由だからこそ、ドラマを開始できない時代。それでも人間は、ドラマを求めずにはいられない。だからこそ、過去の業を引き受け、自らをドラマティックな存在へと変貌させる。それが黒髪ロングの少女たちなのです。

 

【黒ロンは歌舞伎の美学である】

でこれは、歌舞伎の方法論と似ています(どんどん変な方向に行くぞ…)。

江戸もまた、ドラマが存在しない、というか存在してはいけない世界でした。江戸は実に完成された管理社会で、「体制は悪」とする主張は徹底的に取り締まられた。「現在に悪が存在する」なんてことはあってはならず、悪はただ、過去に存在するだけだった。

「悪がいないことにされている世界」でドラマはいかにして可能であるか?となれば、江戸のドラマが抱える困難は悪のいない現代と同じなのです。

 

ご存じのとおり歌舞伎では男性が女役を演じます。「オヤマ!菊之助」で有名な「女形」ですが、なぜ男性が女を演じるのか?

男性は女性の記号をまとって、女性より女性らしい女性になることができるから。つくりものの女性になれるからです。

だから歌舞伎の女形は着物や髪、化粧といった数々の洗練された意匠を身にまとい、女性より女性らしい仕草で舞台を舞う。自分を形作る「過去」をその身に引き受けてステージへと上がり、そうしてドラマの中でカタルシスを志向する。これを黒髪ロングの精神と言わずしてなんと言おうか。

 

そもそもドラマを志向する大江戸歌舞伎の起源は、もとをたどれば人形浄瑠璃にあります。前章で紹介した遊女歌舞伎、およびその後に登場する若衆歌舞伎などでは、見せ物といえば踊りが中心で、ドラマ自体はたいしたものではなかった。ドラマは人形が演じるべきものであり、人間が演じるものではなかったのです。

人形浄瑠璃は江戸時代中期に上方(京都)で流行し、「こりゃおもしろい!」ということで江戸に持ち込まれ、しかし武士オリジンの街である江戸では人形を使わない。人形の代わりに肉体を持った人間がドラマを演じてしまう。大江戸歌舞伎はこうして誕生しますが、これ、髪型とまったく同じですね。女性の肉体を否定した京都の黒ロンから、女性の肉体を肯定する江戸の日本髪へ、という構図。

 

現代のわれわれからすれば人形浄瑠璃は「なぜ人形にドラマなんかやらせるんだろう?」とヘタをすれば思いますが、黒髪ロングのドラマツルギーを知っていれば理解は難しくない。そう、ドラマを発動できるのは、「人形」だけだからです。歌舞伎役者がわざわざ顔を白塗りするのも、浄瑠璃の人形を模倣するためです。人間は人形を経由することで、はじめてドラマができる。

「人形」に魂が吹き込まれることで、人は現実を超えた何かをそこに見るのです。

 

【人間は神=髪の玩具である】

そもそも古今東西、人間が演じるものといえばまず彼らの世界を支える「神話」で、自分たち人間のドラマを演じるというのはその後に登場します。

古代ギリシアの演劇世界もそうですね。「人間はただ神の遊戯の玩具となるようつくられている」とはプラトンの言ですが、人間は自らを神様の玩具に仕立てあげ、そうして神たちのドラマを模倣し、神の世界の中で生きた。ドラマはただ、神に捧げるためにこそありました。

 

「ドラマは神に属するもの」ではなく「人間にもドラマがある」ということになれば、浄瑠璃のように人形にドラマを演じさせるのはむしろ当然でしょう。人間は「神」という一段上の存在に憧れることでドラマを生み、人形は「人間」という一段上の存在に憧れることでドラマを生む。ドラマの精神とは実に「憧れる」ということであります。

 

そういうわけで歌舞伎役者は、人形になろうとした。メイクや衣装、立ち振舞いで自らを精巧な人形に仕立てあげ、そうしてはじめて、人間を祝福するドラマが可能になる。

 

現代では当たり前のように人間が人間のドラマを演じていますが、歴史的に見ればこれは特殊なんです。「そのドラマは何に捧げてるんだ?」って話になりかねない。昔の人からすれば「人間が人間のドラマを演じる」というのはただの内輪ネタで「それ、何がおもしろいの?」かもしれません。「人間が描けてない」なんて言い方もありますが、しかし人間をリアルに描いたからといって、それがいいとは限らない。

 

もう消費文化の頽落ぶりって、ほとんどここにあると思いますけどね。人間にウケることばかり追い求めて、崇高なものが何一つなくなってしまったという。お前、パズドラを神に捧げられんのかよって話なんですけど、そんなこと言ってもまともには受け取られませんね。でもそういう話ではあるんです。

 

【人間は人形の夢を見るか】

黒ロンの波が来ているのは「人間は人形でもありうる」という可能性へもう一度立ち戻るための、ドラマへの原点回帰だと僕は思います。「人間は人間である」を当たり前にした現代のドラマに、人間はうんざりしてしまった。だから時代は「黒ロン」的なものを求め、そこに憧れる。

 

人形であることが当たり前であった平安時代の女性にとって「人形は人間でもありうる」が可能性でしたが、現代「人間は人形でもありうる」という方向に可能性がある。黒ロンの意味は、そのように変わっている。

 

もちろん、人間はどっちにだってなれるんです。人間だけでも息苦しいし、人形だけでもつまらない。まどかがほむらと一体になるのは、「お人形さんと人間の和解」というものでしょう。「風立ちぬ」で菜穂子と二郎が果たすのもそういうことなんだけど、こんなの全部説明してたらきりがないな…。

 

【少年犯罪と黒髪ロング】

さて、話は一気に小さくなって今回の黒ロン祭主催者、水星さんの話。

といっても別に内輪の話ではなく、いま20代半ばでサラリーマンやってる文化系の男性だと思ってください。そういう人は黒ロンにハマる素質がある、という話。

 

水星さんがもっとも多感でドラマを必要とする思春期を迎えたのは、ちょうど2000年前後でした。俺もそうだけど、いま25歳の俺は中学に上がる頃ちょうど2000年ですね。97年に劇場版エヴァンゲリオンが公開され、ドラマの死が宣告されて後の世界に、思春期を迎えた。

徐々に社会へと向き合っていくこの時期ほど、ドラマが必要とされる時期はないでしょう。自分が共感できる人間が生き生きと活躍する姿をモデルにして、少年少女は勇気を出して社会へと出発することができる。

ところが「自分が共感できるドラマがほしい!」と思う多感な時期に、ドラマの死はもはや公然と宣言されていて、ろくなドラマはありませんでした。そんな彼がドラマを求めようとすれば「自分で作るしかない」となりますが、話はそう簡単にもいかない。

 

なにせ2000年と言えば、少年犯罪が真っ盛りの年です。

西鉄バスジャック事件、岡山金属バット事件、「人を殺してみたかった」と証言した愛知の殺人事件もあり、少年法も改定され、とにかくセンセーショナルに「少年犯罪」が報道されます。

 

その3年前、97年には「酒鬼薔薇聖斗事件」が連日、ワイドショーで話題を呼びました。彼はまさに「自分でドラマを作ってしまおう」とたくらみ、「殺人」という形で自作自演の通過儀礼を執り行い、そして罰せられた。

これをきっかけに、少年は危ない、特に一見ふつうの少年ほど危ないというムードが広まっていくのは、当時9歳の俺でも感じられました。

もしかしたら自分も、そのうちとんでもないことをしでかしてしまうかもしれない。だってテレビで凶悪犯として報道されるのは「どこにでもいる普通の少年」なのだから。こうして自分の中の「少年」に怯えて日々を過ごしたのは僕だけではないと勝手に思います。

 

そうして少年が、何を起こすかわからない、不気味なものとされていく中で、まわりの期待に逆らってはいけないと思う真面目な子どもほど、ドラマを起こすなんてできない不自由な状況が続く。

ドラマを起こせない一方で、しかしドラマを求めずにはいられない。自分だってドラマの主人公になりたい。でも、どうしても自分で自分を縛ってしまう。ドラマに憧れつつ、おとなしくしているしか他にない。

そんな夢見るお人形さんのような少年の前に、自分と同じ、お人形さんのような黒髪ロングの美少女が登場し、ドラマを巻き起こす。まったく違う世界で、自分と同じような存在が堂々とドラマを演じている。少年的なものへの共感を絶たれた彼が、自分から遠くはなれた黒ロン美少女に憧れるのはむしろ当然でしょう。

…まあ、水星さんが黒ロンにハマったきっかけなんて知らないんですが、おそらくそうなるだけの素地は確実にあった、と同時代に思春期を送った僕は思います。

 

そうして現在、サラリーマン=会社のお人形さんとして、そこまで真面目に考えなくてもいいんじゃないかってくらい真面目に仕事に取組み、会社はいやだ、こんなの茶番だ、黒ロンは素晴らしい、とツイッターで毎日ぼやく水星さんを見ていると、子どものときはそんな感じだったんじゃないか、と勝手に思います。黒ロン好きなんて、だいたい業が深いからな。

 

【サラリーマンも黒ロンの夢を見る】

さて、水星さんをはじめとする現代の典型的なサラリーマンに足りないものは何か?

相変わらず、ドラマです。

 

サラリーマンはドラマのない日常を退屈だと思う。自分の退屈な日常にも、何らかのドラマが訪れてほしいと期待する。だからこそ半沢直樹だって流行るわけですが、しかし水星さんは、そんなものには満たされない。現実と地続きのサラリーマンにドラマがあるなんて嘘だと思ってしまう。嘘なんです。経済成長が頭打ちを迎えて久しい昨今、ほとんどのサラリーマンにドラマは訪れない。

ドラマを起こすためには、神に自分を捧げるように、会社に自分を捧げなければならないけれど、それができる企業がいまどれほど存在するのだろうか。

そういうドラマが起きない会社人生で、無理やりドラマを発生させてしまうのが、ブラック企業ってもんだと思いますけどね。

 

だからこそ会社なんか嘘っぱちだと思う人間は、徹底的に自分から離れた場所でドラマを発動させている、黒髪ロングの美少女に自分を見るわけです。あんなに離れた世界に、もし自分が存在できるとしたら?いや、もしかしたら存在しうるのかもしれない。とヒーローに憧れる少年のような心を、大人になっても持ち続ける。

水星さんの黒ロンへの執着は、きっとそういうものなのだ、と僕は思います。「黒ロン美少女ハァハァ」だけではあそこまでの気持ち悪さ、もとい情熱はおそらくありえない。

だから僕は、こう結論します。

 

彼は黒ロン美少女を消費したいのではない。黒ロン美少女になりたいのだ、と。

 

【今後の黒ロン】

…という水星さんの性癖が特殊かというと、僕はそうも思いません。現に黒ロンがアニメ・漫画に頻出しているとすれば、少なからず本稿で述べてきた要因が背景にあると思うし、黒ロンの形をしていなくても「黒ロン的なもの」はますます求められると思う。要するに「お人形さん的なもの」のドラマですね。進撃の巨人なんか、ドンピシャだと思う。あれはあの共同体全体が、一人の黒ロン美少女みたいなもので、だからほとんど少女的な内面のドラマでしょう。巨人のダイナミックさでカモフラージュされてるけど。

 

何度でも言いますが、過去の業を一身に受け、ドラマなき世にドラマを起こす。それが黒ロンの美学です。

ドラマのない日常はもうこのまま続くだろうし、そうすれば黒ロンがフィクションの分野でますます重要な地位を占めていくのは、間違いないと思います(割と本気で)。

 

しかし憂慮すべきは、その後に待ち構えるであろう黒ロンの堕落でしょう。「男は黒ロンが好きなんでしょ」という短絡からはじまる、美学なき黒ロンの氾濫。平安や江戸の髪型史を見ればわかるように、流行はいずれ制度となり、ドラマを生まなくなります。

そうして黒ロンが消費され尽くしてドラマが消えてしまう、という事態を、俺はもう心配しています(割と本気で)。

ドラマのない黒ロンが再び氾濫するとすれば嘆くべきことですし、現にそれは起こりつつあると思います。まあ、あんまり現実に浸食してきちゃうとダメかもしれない。

 

だがしかし、心配はいらない。黒ロンが死ねば、次はショートカットの時代が来るはずだから。だからショートカッ党の各位、安心してください。もう少しの辛抱であるぞ。

…こんな黒ロンについて語っといて、俺はショートが好きっていうね。そういうオチでした。じゃかじゃん。

 

【参考文献】

橋本治『ひらがな日本美術史(全7巻)』

橋本治『桃尻語訳 枕草子(上・中・下)』

橋本治『源氏供養(上・下)』

橋本治『江戸にフランス革命を!(上・中・下)』

橋本治『大江戸歌舞伎はこんなもの』

 

歴史部分はほとんど橋本治の著作を参考にしてるんですが、めちゃくちゃな要約とアレンジをしてるので間違ってたら完全に俺のせいです。しかし橋本治は歴史を語らせると天才的におもしろい。

 

【おまけ:水星Cは黒髪ロングの夢を見るか?】

舞城王太郎の話。

水星さんのハンドルネームは舞城王太郎の長編小説「ディスコ探偵水曜日」に登場する名探偵、水星Cの名前に由来しているそうですが、だからなんなのか?

舞城王太郎という作家は、そもそも作風が黒ロン的です。

舞城の作品は『世界は密室でできている』という初期作品のタイトルからも明らかなように、「閉鎖された観念世界からの脱出」というテーマを明確に打ち出していますが、ではどう脱出するのか? 

 

といえばミステリー小説ですから、過去の因果関係を解きほぐすことですね。着物と黒ロンの意匠の代わりに、「殺人事件」という過去の業を自ら引き受ける名探偵。そうして彼が自ら因果を解決することでドラマが発動し、そして平穏な日常が戻る。

舞城のそれが特徴的なのは、「その事件すら自分の観念が作り出したものではないか?」という問いが根底にあるからです。普通のミステリーの場合、何らかの事件が起き、それが外からやってきた名探偵により解き明かされる、という展開をたどります。

しかし舞城の場合、事件は名探偵の侵入によりますますややこしくなる。探偵の思念が過去の出来事にだって影響を及ぼしてしまう。事件という過去の業を、自らの思念の中に取り込んでしまいます。これ、完全に黒ロンですね。過剰に因業を引き受け、そうしてそこからの解放を目指してドラマを発動させるという。

「運命と意志の相互作用」という本書を代表するフレーズはこれでしょう。黒ロンという運命を引き受けてはじめて、人間は意志を発現できる。

 

ディスコ探偵水曜日」は舞城の作品の中でも、一番分量のあるハードな長編作品です。観念が観念を引き起こし、何かが解決したと思ったその瞬間、事態はすぐにひっくり返り、ぐるぐるとらせん状に回り続ける。そう、果てなく長く伸び続けるミステリアスな黒髪のように…。

 

というのは強引にしても「踊り出せよディスコティック」という水星Cの名言は、そっくりそのまま水星さんへ向かう。踊りたくて仕方なくて、いつか踊り出せる日を夢見ている水星さんの姿は、やっぱり黒ロンの少女にそっくりだと思う。俺も何言ってるか、わかんなくなってきたな…

 

【おまけ2 時間は本当に流れるのか?】

終わった!!!!!

これでも本文、まじめに論理を追ったつもりなので疲れた。論理を追ったつもりで、途中でめんどくさくて投げたんだけど。これもっと言葉を費やさないとダメなんだろうなあ…

ふつうに論理組み立てるのがこんなにも苦手な理由もだんだんわかってきたんだけど、わかってきたからって実力不足はいかんともしがたく、よって以下は好き放題書きます。一筆入魂で書けるような熟練がないとダメってことですね、勢いもなくなっちゃうし。

 

本文でまどか☆マギカと歌舞伎を結びつけましたけど、それが全くこじつけではないのは、シャフト(アニメ製作会社)の方法論が歌舞伎のそれとそっくりだからですね。どういうことか。

歌舞伎とは元来、「傾奇者」であり時代からはみ出す「傾く(かぶく)」の精神を体現する者に他なりません。傾く、ね。言うまでもなく、シャフト角度です。顔を傾けてバンと見得を切る。

めちゃくちゃに強引なようですが、「明確な敵が存在しない世界で行われる、予定調和のエンターテイメント」という点で、江戸の歌舞伎と現代のアニメは同じくしている。ただの記号であるキャラクターに息を吹き込むなんて、人形浄瑠璃と同じでしょう。

となれば歌舞伎や浄瑠璃とアニメの方法論が似ることは当然なんですけど、アニメ製作会社の中でも独自の方法論を打ち出す理論派のシャフトが(そして徹底的に理詰めでシナリオを考える脚本家の虚淵玄が)歌舞伎の方法論も意識してるのは間違いないと思う。あのシャフト角度はまさしく「傾奇」へのリスペクトでしょう。と思ってるんだけど、誰かこういうこと言ってる人いるのかな…。

 

日本が本当は誇るべきなのにぜんぜん評価されない批評家の大塚英志が物語論を語るとき頻繁に歌舞伎の例を持ってくるのも、こじつけではまったくない。明治時代に入っても日本はまだ江戸の延長をやっていて、驚くことに現代まで江戸は生き延びてきている。だから現代と江戸って似ている部分は本当に似ていて、ドラマの依って立つ基盤なんかは本当に江戸と近い。だから方法論も応用できる、というわけです。

 

歌舞伎と言えば「時代世話」という現代と過去が入り乱れる特殊な時間概念を持っていて、これなんかびっくりしたんですが、まどか☆マギカの時間のアレと共通する部分が大なんですね。ただし江戸は管理社会ですから、最終的に人間もまた人形である、という予定調和にはなるんだけども、そこに至るまでのドラマでは時間軸が複雑に交叉していく。一方現代は「人間は人間である」という結末が最終的に求められますね。「生きねば」ですから。「風立ちぬ」もまどマギと非常に似てて面白いんですが(最後に菜穂子が消えなければならないのは、まどかが概念になったのと同じです)まあそれはいい。

現代と江戸で何が違うかというと、わかりやすく言えば「観察者」の存在です。「平和な日常が戻りました。めでたしめでたし」の予定調和で終わるのが歌舞伎ですが、現代は「本当にめでたいのか?」と疑問が差し挟まれる。冷静に自分を観察し、ツッコミを入れ続ける第三者がいる。これをどう処理するかが現代の厄介なところです。

虚淵玄がインタビューでエントロピー云々と話していたのもこれですね。一つの結末に向けて、過去から未来へ時間を流そうとする場合、この現象を観察することは不可能になる。逆に現象を観察をしようとすれば、結末は一つの方向へ向かわず、無限大に拡散していく。何を言ってるのか?なんですが、この話です。

 

「時はなぜ一方向なのか:観察者問題から説明」

http://wired.jp/2009/09/07/%E6%99%82%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%9C%E4%B8%80%E6%96%B9%E5%90%91%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%81%8B%EF%BC%9A%E8%A6%B3%E5%AF%9F%E8%80%85%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%81%8B%E3%82%89%E8%AA%AC%E6%98%8E/

 

量子力学では「観察者効果」という概念がありますが、これは理系の話だけでは全然ない。一つの宇宙論ですからね。

まどマギには「観察者として立つほむらは果たして悪なのか?」というテーマがあります。それまでの虚淵玄は「観察者の存在はエゴであり、悪である」と結論するしかできず、ドラマを頓挫させ続けた。実際、ほむらも最後には自分の過ちに気づき(驚くことに、エントロピーの概念から言えば、ほむらの行動は倫理的ではなく論理的に間違いなのです)自分の行為はすべて無駄であったと、欲望に飲み込まれた魔女へ変身しそうになる。

そうしてまどかが奇跡を起こし、観察者としてのほむらを許す、というドラマがあるわけですね。まどかが起こしたのは時間を戻すという奇跡で、「過去⇒未来」へ時間を流すほむらと「未来⇒過去」へ時間を流すまどかがぶつかると、そこに奇跡が起きる。

ほむらは「私の求めるまどか」という一つの目標に向かって時間を進めたのが論理的な間違いを犯していたのであって、「まどかは無限に遍在している」と気づいたとき、論理は正になります(エントロピーの理論によると)。

 

観察者としての自分を保とうとすれば、拡散へ向かうしかない、とはそのとおりで、思念を自分の頭の中でぐるぐる回すのはダメなんですよ。何かしら外へ発散させるための、自意識以外の論理体系を構築しないといけない、と思ってやっぱり教養をつけなあかんな、と思って歴史を勉強した結果の本稿があるわけですが、これは東洋医学の理屈と同じですね。西洋医学は悪玉を特定して排除するけど、東洋医学は全身に悪玉を分散させて治療する。そう、これからは教養の時代だ。

という一方、もう1つの方向は、どうしても一つの目標に向かいたいとき、観察者としての自分を排除して時間を逆向きに、未来から過去に流すという考え方が必要になる。これは苫米地秀人がしょっちゅう言ってることですね。あの人は近代的合理思考を徹底的に突き詰めて突き抜けた人だから、こっちになるのだと思う。自己啓発界で有名な「引き寄せの法則」はたぶんこれ(パラパラ読んだだけなので自信はないです)。

 

まあ何を言ってるかまるでわからないと思いますけど(おまけなので)、いま時間論が個人的にアツいですね。どうすれば奇跡は起こせるのか?歌舞伎の時間軸、エントロピー、それからレヴィナスの時間論(内田樹の本でしか知らないけど)はおそらく同じことを違う道筋で語っていて、まったく文化も言葉も違う人間がわかりあえる可能性があるとはきっとそういうことなのかもしれません。俺が「ようやく人間がわかってきたかもしれない…」と言うのはそんなところで、なんでそんな遠回りしてるのかまったく意味が不明な人には不明だろうけども、俺もただ酒を飲んで毎日たのしく暮らしたいだけなのに、なんでこんな遠回りしてるのかわからなくなるな…。

でもいまや考えるべき問題は時間をどう流すか、ですよ。近代科学の発明からこっち、もしかしたら時間は止まってるかもしれないんだから。

*1:とは言うものの、江戸も男女差別の時代でした。平安時代の女は成長すると人形になりますが、江戸の女は成長しても「非・大人」扱いです。まあ20世紀に入ってもまだコルセットはめて女性をお人形さんにしてた西欧よりはだいぶ進んでます