ライフ・イズ・カルアミルク

本当のライフハックを教えてやる

オフィスで鼻唄を歌う

某月某日。

近所の老舗の喫茶店でモーニングをする。

朝11時まではコーヒーに+50円すると厚切りトーストとゆで卵がセットになる。11時まで、とたしかに看板に書いてあったはずなのだけど、マスターは12時過ぎに入店した客にもモーニングサービスを積極的に勧めていて、一日中モーニングサービスを実施しているとかいう名古屋某所の喫茶店はこんな感じの人がやってたのかなと思った。

それはそうとこの店、老眼鏡では間に合わないらしく、新聞をいまどき虫眼鏡で読むタイプのマスターが一人で切り盛りしていて、客は朝から5人くらい店内にいる感じかな、常連とおぼしき人たちが出入りをしている。マスターは店内放送のラジオから流れる歌に合わせて楽しげに鼻唄を歌いながらコーヒーを淹れてくれて、コーヒーの味がよくわからない俺にはうまいとしか言いようのないコーヒーが出てくる。ああ、これだな、と思った。これだよ、鼻唄だよ。

 

はっきり言えば俺は、今よりもっと待遇のよい職に就きたい、もしくはもっと面白い、やりがいのある仕事を、自分に適した仕事をしたい、ということをあまり思っていない。いや少しは思ってるけどそれよりも、このマスターみたいに鼻唄を歌いながら仕事ができたらそれだけでいい、とそれは本当に思う。

だいたい俺は実家にいると、自分の部屋にいるとき以外はだいたい鼻唄を歌いながら家中をうろうろしていて、家族に不満もありつつ円満なのはそれのおかげだと思う。鼻唄が出てるときはまずイライラしない。実際、実家にいて鼻唄が出るのは実家が落ち着くからではなく、鼻唄を歌ってるから落ち着く、という逆転現象が起きている気さえする。ちなみに俺の親父は鼻唄どころかところかまわず本当にマジで歌い出すので、近所にも聞こえていて、俺の控えめな鼻唄はまったく問題にされない。幸いなことだ。(親父は最近ひとりカラオケにハマったせいで声量が日ごとに増してきて、声量ばかりか歌い出す頻度も上がり、スーパーで買い物をしている間にも歌い出すなどゆゆしき問題になっているが、それはまた別の話)

 

それはともかく俺は会社で鼻唄を歌いながら仕事をしたい。
思い出すのは前の部署、営業部にいたとき、年配の上司は「よいしょ」「えーっと…」「えぇー!」とひとり言を発する方がかなり多く、俺もそれが伝染ってしまったのか、「よいしょ」と頻繁に言うようになった。今の部署に来てからも最初のころはひとり言を連発していて、しかし他の方々が静かにだんまりと仕事をしているせいか、次第に俺もひとり言を発する気がなくなって現在に至るのだけど(かわりに隣の席の新入社員の女子が俺のかわりに「よいしょ」とよく言うようになって、それは大変いいです)、考えてみればあのひとり言は俺にとって鼻唄の代わりだったのかもしれない。
必ずしも居心地がいいとは言えない空間に、さりげなく自分が介入する余地を、楔を打ち込む。それが鼻唄なりひとり言の重要な意義である。だからもっと俺にぶつぶつ言わせろ、と強弁できればいいのだけど、そうもいかなかったりしますね。でももうちょっとひとり言は積極的に言っていこうかな。

 

そういえば飲食店やコンビニの接客。お客様にニコニコ笑顔で明るく接客しなさい、とはマニュアルに書くまでもなく当然のこととされるのに、鼻唄を歌ってもよいとは絶対に言われないもんな。楽しそうに接客するなら鼻唄も歌えばいいのに、と言いながら、鼻唄歌うコンビニ店員がいたらちょっと嫌ですね。まあこれはコンビニが悪い。
アニメや漫画で鼻唄を歌いながらコーヒーを運ぶ喫茶店のバイトの女の子とか出てくるじゃないですか。あれ最高にかわいいと思うんですけど、みんな本当は店員さんが鼻唄を歌ってくれるのを期待してるんじゃないの。
インド映画なんて主人公といっしょに店のおっさんたちが突然踊りだしてハッピーエンドを迎える、みたいな日常からミュージカルに切り替わっていく演出で有名だけど、ああいうのを待望してるんじゃないかと思います、我々の心は。インドあたりはそういうのが強く残ってるんだろうな。

 

ともかく鼻唄を歌えば不真面目、ひとり言がデカけりゃ狂人、みたいな発想は誰も得をしないので積極的にNoを言っていきたい。そういうところから自分が介入する余地がなくなって世の中がルールでがんじがらめになるのであって、どんなものであれ鼻唄っつうのは一種のプロテスト・ソングなわけですよ。

 

まあそれとはべつに、俺は自分の仕事の勉強をしないといけない。仕事がさっぱりできなくて鼻唄歌ってたら本当にバカになってしまうので…

というわけで複式簿記とかいう悪魔の発明をしたどこぞのヴェネツィア商人をひっぱたいてやりたい今日このごろなのだ♪(バラード)