ライフ・イズ・カルアミルク

本当のライフハックを教えてやる

ブログはじめます(仮)

なぜか小説を書くはめになってしまったので、長い文章を書く練習も兼ねて

今日からブログはじめます(たぶん)

小説書くつっても知り合いの某同人誌の編集の方からスカウトされただけなので、某コミPo!のステマ山さんみたく商業誌でお金もらって書くとかそういう大それた話ではないです。うまくいけば5月の文フリで俺の小説が載った書籍が販売されるはず(「うまくいけば」というのは、俺がモチベーションを落とさなければということです)。まあ、やるからには文フリの覇者になるつもりで書きますよ。無論。

いやしかしでも、俺の人生に小説を書く機会が訪れるとは思わなかった。最初は断ったんですよ。俺は小説だけは書けませんって。というのも

 

・自分の中に書きたいことも衝動も何もない

・物語を展開できない(というか「物語」という概念を信用してない?)

・イメージの想像力が乏しい

・そもそも小説をあまり読まない 

・そもそも人間として薄っぺらい

…etc

 

というように問題は山積みで「僕は小説以外なら批評でもエッセイでも東浩紀*1の悪口でも何でも書きます、でも小説だけは勘弁して下さい、後生です!」そこまで頼んだにもかかわらず、小説を書くことになってしまった。

 

それでも書くとなるとアイデアは湧いてくるもので、「英語の一人称が『I』しか存在しないのと同様、GHQの陰謀で一人称が『われわれ大和民族』に統一されてしまったパラレルワールドの日本で展開される青春学園ドラマ*1なんてどうだろう?」などと窓から飛び降りたくなるほどしょうもない構想が浮かんでは消え、最終的にはそれに輪をかけてしょーもない完全に飛び道具的な構想を持っていったら「それすごく面白い!」と誉められてしまったので、おそらくそんな感じの小説を書きます。物語のプロット自体は思いのほか好評で嬉しかったんだけど、そのあと「本当は、もっとしんみりしたふつうの小説書いてくれるかなって期待してたんだけどね…」って言われた。それなら最初に言ってくれよ!

 

まあそんな感じで、久しく長い文章を書いてなかったのでこっちでリハビリするつもりです。しばらくはサブ垢みたいな感じで適当に書き散らしたいな。慣れてきたらツイッターで更新報告もすると思います。一生しないかもしれません。

 

※1 批評家。2012年2月17日現在、ツイッターで俺をブロックしている

※2 もし一人称が『われわれ大和民族』しか使えなかったら『自己』というものはどういうふうに可能なんだろうか。「われわれ大和民族は、ずっと君のことが好きでした。付き合ってください!」「ごめんなさい、われわれ大和民族は、あなたのことを友達としてしか見れないの…」「そんな…どうして」「あなたが悪いんじゃないの。悪いのはわれわれ大和民族よ…」…GHQによる自虐史観の完成である。

『われわれ大和民族』はともかく、もし一人称が『私』しか使えなかったらって仮定は想像しやすいし面白いかもしれない。老若男女みんなが「私」で話しはじめたら、日本語どころか現実がいろいろ変わりそうだし、というかフェミニズムの議論でこういう話はとっくに出てるよな。『私』『俺』と一人称が違うのは男女差別だみたいな。結局、想像力の限界とは言葉の限界ではないか。

それにしても注が長くなったついでに言っておくと適切な一人称があってはじめて表現できるものというのはあるはずで、ベタベタだけど「ロボットが人間に限りなく近づいた未来」という世界を考えたとき、人間とロボットを区別するためにロボット専用の一人称が発明され、そこから自己表現というものが大きく変わってしまう、とか、ロボットに一人称を与えてみたら急に人間らしく見えるようになった、みたいなことはあるんじゃないかって、まあそんな小説はとっくの昔にもうあるんだろうし、今さら俺が言ってもしょうがないのだろう。じょーねつは悲しい。←俺にしか使いこなせない一人称