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ライフ・イズ・カルアミルク

本当のライフハックを教えてやる

週に5日も会社に行くの巻

※1ヶ月前くらいに書いた文章で、ひどかったんですがアップします。

 

最近、週に5回も会社に行っている。すごい。週に5回も会社に行くというのは、本当にすごい。週に5回だ。週4回じゃダメだもんな。週に5回。

いや今のところ俺はまだ研修期間、勉強中の身であって、週に5回も出勤したからって特につらいと言うほどのことはないのだけど、週に5回出勤するという事実がなんというかすごい。俺は最近、週に5回会社に行っていて、来週も週に5回行って、おそらくこの先しばらくは、週に5回会社に行き続けるのである。信じられない。マジかよ。

週に5回出勤する、というのは、それこそ小学校中学校高校、あと浪人時代も週5日制をこなしていたわけだけど、それとはまったく違う気がする。違う気がする理由は、俺が今まで学校の授業をまともに聞いてたことがなく、週に5日も縛られていたという実感がなかったせいなのか、それとも平日もヒマし放題だった大学4年間を経て、ああ休日って本当はこんなに貴重なものだったのねと感じるようになったからなのか、あるいはもっと違う理由なのかはわからん。ともかくもし定年まで会社勤めをするとしたら、あと40年は週に5回会社に行くことになる。40年。俺はまだ23だというのに。

…全然考えが進んでない。というのは、俺には「週に5日会社!?」→「わーっ!!!」という実感というか驚きというか違和感、しかなくて、それ以上のことがあるのかはよくわからないからで、しかしじゃあこの違和感の正体はなんだ。「週に5日に会社に行く」というのは俺が決めたことじゃなくて勝手に決まってる感がイヤなのか。俺の意思とは関係ないところでシステムが動いてるのがイヤなのか。うーん、「週に5日も働く」ではなく「週に5日も会社に行く」というフレーズになってしまうあたりにヒントがありそう。

 

「フレーズになってしまう」と書いたけど、まあ脱線してもいいや。「フレーズになってしまう」というフレーズを最初に目にしたのは田中小実昌の小説だった。「〜というフレーズになってしまう」というこれ自体が不思議なフレーズではあるけど、すごくよくわかる感覚だと思う。俺は自由に考えてるのではなく、いままさに言葉によって考えさせられているんだなという感覚。自由意思はどこにもない。考えているのではなく、ただそこにフレーズが湧いてくるだけだ。

俺は言葉に考えさせられているし、会社にも週5日行かされている。こう書くとえらく不幸な人間に思えてくる。しかしまあ、これって本質は同じなんじゃないか。言葉だって会社だって、ひとつのシステムだ。そこから逃れるのが容易か困難かといった違いこそあるけれど。

しかしシステムに何かをさせられることイコール不幸というのは違う。「言葉の奴隷」とか「システムの奴隷」とか書いてもよかったのだけど、「奴隷」というアナロジーはひどく近現代的な気がしてやめた。まあそういうところだよな、結局。「言葉の奴隷」という言葉自体が「言葉の奴隷」で、だがこれもまたアナロジーでしかないのだ。言葉は現実のアナロジーであり、アナロジーはアナロジーでしかない。時は金ではない。

 

脱線したのを無理やり引き戻したら電車が大破しました。南無。