ライフ・イズ・カルアミルク

本当のライフハックを教えてやる

「尊敬」と「リスペクト」

尊敬する人間っていないなー、という話をしたい。

 

たとえば俺は自分の父親のことはそれなりに好きだし、いてくれて本当によかったなと思うけど、「俺は父親を尊敬している」というフレーズをつくるのはどうしても違和感がある。またたとえば、俺は高校生のころから大塚英志*1の評論・小説が好きで、今日に至るまで片っ端から著作を読んできた体験がいまの自分を作っていると思うし、実際に大塚先生本人にお会いした時も、ああこの人はやっぱりすごいなと思ったけど、それでも「俺は大塚英志を尊敬している」というフレーズにはやっぱりならない。俺は人間に対して「尊敬する」という言葉を使いたいと思えない、というか、なんかこう、しっくりこないのだ。

…ものわかりが悪くて申し訳ない。人間に申し訳ない。

いや俺も実際は「父親を尊敬している」「大塚英志を尊敬している」という言葉を使ってしまうけど(めんどくさいから)、そうするたびに(なんか他のフレーズはないもんかなあ…)といちいち立ち止まってしまう。「尊敬」という言葉は極力避けるようにはしているものの、それでも使ってしまうことはしばしばで、うーん、やっぱり「尊敬する」って言葉は便利だなーと思う。まあ便利だから使われてるんだろう。

 

…もう伝わっているかもしれないけど、俺が言いたいのは「尊敬する」という言葉ってなんか違和感あるんだよね、という話、ただそれだけで、それがちょっとでも伝わりゃいいなという気持ちで残りの文章を書きます。ついてきてください。

 

たとえば「好きな人間」「かっこいいと思う人間」なら俺でもいくらか挙げられるけど、そのなかに「尊敬する人間」がいるかと言われるといないなーと俺は思う。それは「好きな食べもの」「かっこいいと思う動物」というフレーズはふつうに想定できるけど「尊敬する食べ物」「尊敬する動物」というフレーズがほとんどギャグでしかないことを思い浮かべるとわかりやすいかもしれない。「尊敬する」はほとんど人間に対してしか付けられない言葉だ。

…というのはどういうことかというと、極端に言えば「尊敬する」という言葉を使った時点で、「人間様は他の森羅万象とは異なる存在である」という前提が立ち上がってしまう、ということである(!)ああ、なんという人間の思い上がり。暴力はどんなところにも遍在する。

で、もう1つ。人間に対して「尊敬する」という言葉が付けられるということは、この世には「尊敬する人間」と「尊敬しない人間」の2種類がいるという話になる。それっていいのか。世の中には「尊敬する人間」も「尊敬しない人間」もなく、すべての人間は、かにやプードルと同じように生きて死ぬだけではないか。そうでもないのか。どうなんだろう。

 

…そういうことの真偽はめんどくさいから各自勝手に考えてほしいけど、ともかく「尊敬する」という言葉が成立した時点で、なんかこう、いろいろものが前提とされてしまう。「尊敬する○○さん」というフレーズが成立するためには、本当は様々な背景・条件が必要なのだ。が、多くの人はそれを成立させる背景・条件にまったく鈍感であり、俺はその鈍感さに憤っているし、ここまで書いて俺が極端に偏屈なだけという気もしてきた。まあそれはそうなのだろうけど…

 

「内輪感」というと言い過ぎかもしれないけど、「尊敬する」という概念が通用する内輪だけでわいわいやってる「尊敬パーティー」感に、俺はちょっとついていけなくて、そっとすみっこのほうでカルーアミルクをすする。そんな感じである。

…のか? 俺が言いたいのはそういうことなのか? 

いろいろ書いてきたけど、結局、ことばを使う時点で、俺の言う「内輪感」が同じことばを使うものの間で発生するのは避けられないのであって、それは俺も重々承知している。けれど俺はその内輪感に甘えるのがなんか耐えられんので勝手に反発してるのであって、この俺のスタイルに名前をつけるなら「一匹狼」「ぼっち体質」「ストイック」「キチガイマゾ」なんでも好きなものを選んだらいい。まあどれもたいして変わらない。

 

ところで「尊敬する」のかわりに俺がしばしば使っているのは「リスペクト」という単語だ。「リスペクト」は「尊敬する」に比べて、臭いがない。「尊敬する」という言葉が持つさまざまな臭いがきれいに脱臭されていて、よくも悪くも使いやすい(俺にとって)。「リスペクト」だったら、俺は親父も大塚英志マイケル・ジャクソン安室奈美恵もリスペクトできるし、ゴリラもうまい棒も千円札もリスペクトできる。リスペクトはすごい。便利だ。

で、繰り返すけどそれは、どこまでいっても俺の感覚・気持ちの問題である。「俺はリスペクトという言葉がすごいと思う」「俺はリスペクトという言葉が便利だと思う」「尊敬するという言葉は使いにくい」という、俺の感想。それですべてである。

…というわけで、やっぱり「尊敬する」という言葉は俺にはなんか違和感あるなー、以上のことは言えませんでした。不毛。

 

最後に「尊敬」と「リスペクト」にまつわる曲を2つ紹介。

 

カボチャーマンのうた

http://www.nicovideo.jp/watch/sm3925554

 

黒人天才 「Sonkei Shiro」

http://www.nicovideo.jp/watch/sm2282623

 

カボチャーマンのうたはイラストもあいまって不思議と泣けるし、黒人天才のほうはアメリカのHIPHOPのリリックをほとんど日本語に直訳したような内容が絶妙におかしい。この2曲は「リスペクトする」「尊敬する」という言葉が明らかにズレた文脈で使われていて、それが笑えるんだけど、そのズレがどうして笑えるのか考えると批評的な何かが見つかるかもしれません(やや強引なまとめ)

 

…ということで、なんかそういうズレみたいなのって笑えるよねってコンセプトで書いたのが「オナホ男」なので、ねとぽよvol2買ってください。(ものすごく強引なまとめ)

http://johnetsu.hatenablog.jp/entry/2012/05/14/224637

*1:俺がいちばん好きな物書き。オナホ男も大塚先生の表現論の影響を受けて(いるつもりであり)ます。