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ライフ・イズ・カルアミルク

本当のライフハックを教えてやる

社畜日記その2

日記

5月某日。出勤アンド研修。

休憩時間、同期が同じテーブルに集まってたのしそうに会話をしていて、俺だけ一人輪から外れているという場面があったのだけど、俺はそのとき「ああ、なんかみんな幸せでいいなあ…」と、自分でも気づかぬうちになぜかものすごくニコニコして目の前の光景を眺めていた。でまあ、それに気づいた瞬間、ふとわれにかえって、なんだか少し寂しくなってしまったのだけど。

別に、あいつらはコミュニケーションがうまくて妬ましい、とか、俺はなんであの輪に入っていけないのだろう、やはり俺はダメなのではないか、とか、そういうふうに思ったりはしない。ただ漠然と、なんか寂しいなあとか、なんか幸せだなあとか、そういう気持ちになるだけである。その「寂しいなあ」と「幸せだなあ」の違いは、その光景のなかに、自分が入るか、入らないかという違いだけなのだと思う。自分が半ばハブられているにもかかわらず幸せだと感じたあの瞬間、俺は無我の境地に達していた。そう言っていいのかもしれない(ダメかもしれない)。まあでも、雑談の最中に、一人だけ無我の境地にいるやつがいたら、俺もちょっと話しかけようとは思わないと思う。え、もしかしてそういうことなのか…?*1

 

以前、「酒を飲むと世界がよいものだと感じられる」という趣旨の文章を書いたけど*2、まさに本当にそれで、世界というなんとも言えぬ幸せな広がりに対して、自分という中間項が入ってしまうのがそもそもの間違いではないか、と最近よく思う。幸せとはようするに、「世界=自分」って直観なのではないか。逆に言えばその「世界=自分」と一致していないと感じる、その分離こそが人間の不幸・苦しみを生むのであって、そこまで行けばもうキリストもブッダもオナホ男*3もだいたい同じことを言っている。偉大なるは歴代の世界直結厨たち。さすがである。

 

ついでにそういう分離による苦しみを言い換えれば、自我が存在することの苦しみ、および自分の肉体が存在することの苦しみ、みたいなところに俺の中では行き着くわけだけど、それを解消するのは、強い自己の確立・コミュニケーション能力の強化・筋トレ、といったマッチョな方法論ではなく、それとはまったく逆ベクトルで、自分をつくらない・コミュニケーションしない・筋肉も鍛えない、みたいな一見ダメダメな行動なんじゃないか。と思って、いよいよコミュニケーションをサボってみたり、仕事が終わると部屋でゴロゴロして寝てばかりいるのは、許されることなのでしょうか。どうでしょうか@神様および世界および自分とか同期とか

*1:そういうことではない

*2:参照:立ち飲み記

*3:買ってください

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