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ライフ・イズ・カルアミルク

本当のライフハックを教えてやる

文章を情報化するということ

コラム

気づけば1週間更新のない俺のブログ=ライフ・イズ・カルアミルク。ここんとこ更新をサボった理由はネタ切れ、ではなくて、普段から仕事をしている合間にもよそ事はいくらでも俺の頭を去来するので、ネタ切れ、というわけではなくて、こう、なんかブログを更新する気にならなかったのである。ん?

説明になってないぞ。すいません、なんか言葉が出てこなかった。

あの、よそ事を考えてですね、これはこうこう書いたらおもしろいよな、あっ、あれはああいうことかもしれないぞ、などと頭の中で構想をまとめるのだけど、まとまった瞬間、飽きる。もう書く意味ないなー、となってしまう。そうなってしまうあたり、俺が何かブログに書くってのは意味、メッセージを伝えたいとかいうことでなく、俺は先がどうなうかわからないまま何かを考えたり書いている時間がたのしく、そのたのしさがもし伝わればよい、ということで、だからネタのあるなしはきっと全く問題ではないのだ。

 

あれだ、前、ツイートにも書いたけど、俺は「Aの理由は3つある。1つはBで〜」という文章がしっくりこなくて、このブログでは意識的に使っていない。あれはクソだ。というのは、単に俺が飽きっぽいせいで、先の筋立てが見えた瞬間、「何やらつまらないことをこれから俺は書こうとしているのではないか、なぜなら俺自身がもう飽きておるから」という不安が心に起こって書けなくなるからで、だから俺は、話がめっちゃ下手である。自分で話の先が見えると、なぜかその話はまったく面白くない気がして、話すことをやめてしまう。すると畢竟、俺にできるのは、犬でもできるような脊髄反射的なリアクション、および当たり障りのないワンフレーズや単なる思いつきに終始してしまう、わけで、それは本当におもしろくない。どう転んでもおもしろくない。そうすると俺は、世の中でもかなり下位レベルに位置するつまらない人間なのではないか、と思うけど、まあ別に人間がおもしろく(世間で言われるような意味でおもしろく)ある必要はないと思うので、別に自虐趣味に走ったりはせぬ。まあたしかにつまらんかもしれんが俺は俺だよ、って、あれ、話がそれた。

 

建てなおす。「理由は〜〜である」という文章がクソ、あえてクソというけど、あれがクソな理由は、そうやって書き出した時点で、文章が「情報」になってしまうからである。これは本当に大事。

なぜ大事か。説明すると長くなるし(大事だから)、本気で説明するといろんな方面に話が飛びまくるので、各自、宿題にして考えてほしい。*1

とはいえ、昨今インターネットでバズる、アクセスが伸びる記事というのは、たいてい内容が情報化されすぎていて、残っているのは骨組みだけ、というのがいくらなんでも多すぎると俺は怒っている。「あなたの恋愛観を変えるかもしれない!?10の恋愛映画」とかライフハックとか2chまとめブログもそうだけど、あんなものは本当に中身がスカスカで、だから伸びるんだよという話であって、だから伸びる記事は99%がクソである。俺のブログは絶対に伸びない。名文すぎるからね。

 

クソクソ言ってきたけど、「クソ=悪い」というわけでは必ずしもない。俺はそれなりにまとめブログなんかも好きだし、ライフハック系の記事もついつい読みまくってしまう。インターネットは大部分はクソなメディアなので、そういうのはメディアの本質にも適っているし俺もそういうクソさを愛しているのだけど、だけれどそういうのばっか読んでると本当に良くない。何事もバランスだよ。俺はわざと論点をぐしゃぐしゃにして書くけど、やっぱり論点は整理したほうがいいよ。ただインターネットにゃあ、それ論点の整理しかしてないだろお前、みたいな記事が多すぎるのは正直あれだよねという話だ。なんというか、ぐしゃぐしゃにするプロセスが足りてないよ。ぐしゃぐしゃあっての情報化だからね。本当に。みんなインターネットばっかしてないで本も読もう。

 

あと、文章はじめいろんなものを情報化していくという技術は世渡りには必要なので、身に着けておいたほうがいいよ絶対と思う。情報は伝わるし、伝わってしまうのだから。

この話はいろんなところに応用できて、たとえば、たくさんRTされるようなツイートというのはたいてい情報化がきれいに成されていて、それは読んだ時に面白いツイートとは必ずしも重ならない、それどころか結構ちがうという話。読んだ時に「おもしろい!」と感じるのと、読んだあとに「シェアしたい!」と思うのは、実はまったく違う現象のはずなのだけど、これが混同されてる場合が多い。「面白いツイート」「ふぁぼられやすいツイート」「RTされやすいツイート」というのは互いに重なりあいながら、実際かなり違っていて…という話は長くなるからやめます。

 

あと文章の情報化といえば村上春樹なんかすごくうまくやってると思う。それは大塚英志の「村上春樹には構造しかない」という評にも通じるもので、だからそういう流れに意識的に乗っかっている村上春樹大塚英志はほとんど同族嫌悪的に批判しているのだと思うのだけど、やっぱり話が飛びすぎる。これも話しだすと長くなるのでやめます。

 

今日の結論は「俺の文章は名文すぎるから伸びない」でした。そんなわけあるか。こんなクソ文。

*1:読者に考えさせる文章が少ないすぎるのもインターネットのクソなところだ