ライフ・イズ・カルアミルク

本当のライフハックを教えてやる

言葉が薄っぺらい人

「現在使用されている日本語の標準語はその成り立ちからしてまったくの人工言語であり、標準語を使用する限りその人工的な思考の枠組みから外へ出ることはできない」という趣旨の文章を以前読んだときは、へぇ確かにそう言われればそうかもな、程度に思っていたのだけど、実際に何とか本当のことを、自分が少しでも本当だと思えることを言葉でもって相手に伝えなければならない、という切迫した事態に直面して、己の頭に浮かんでくる言葉言葉のどうしようもない薄っぺらさに絶望する。どうあがいたって薄っぺらい。それが標準語なり何なりの所為かは俺にはわからないけど、ただ何かを書くというのはひたすらに不毛。不毛だ。不毛作だ。

できっとそれは俺だけじゃないのだ、言葉が薄っぺらくどこまでも不毛なのは。現実、というか、本当の何かと言ったらいいのか、そういう何かに言葉が届かない、引っ掻かない。言葉は言葉でしかなくて、発した傍からすべて上滑りしていく。波が砂でできたお城をさらっていくみたいに、言葉は自立した瞬間に崩壊していく。俺はもしかしたら文章が上手いのかもしれないけど、そんなことに何の意味があるのだ。文章を上手く書くことには何の意味もない。こんな文章にも何の意味もないぞ。

ただ俺は、言葉は薄っぺらい、という認識を通り越して、その向こうに、薄さ0.02ミリじゃないけれど限りなく言葉が薄く薄くなっていってぶっつりと裂け目ができたその地点に、音、というか、悲鳴というか、とにかく何かのっぴきならないものがあって、それが少しでも相手に伝わるのかどうか。それだけが重要なのだ、というときの「重要」というのが、もう違うと思っている。何が重要だっていうんだ。重要だとか重要じゃないとか、そんなことはどうでもいい。ただ俺は、そういうことだけが本当におもしろいのだ。生きるということを肯定するとしたら、俺は、おもしろい、というこの実感以外に、少しでも本当のことを伝えられるものはないんじゃないか。ウィトゲンシュタインが言ったようにもし世界の限界=言葉の限界で、言葉がどうしようもなく薄っぺらなものだとするなら、そういう薄っぺらな世界を笑い飛ばすしか残された策はない、とか、クソ、こんなのは蛇足だ。違う。違う気がする。書かなけりゃよかった。

とにかく生きてください。俺の愉快な仲間たち。

 

追記:「波が砂でできたお城をさらっていくみたいに、言葉は自立した瞬間に崩壊していく」と書いたけど、このたとえで言うなら、お城自体は幻だけれど、お城が崩壊するプロセスの中には何かがあるんじゃないか、と思う。別に自分から壊さなくても、波が寄せれば 自然に崩壊するもので…とか言うとさすがに比喩か。最近はそういうことを考えながら、生きることを肯定したいな~!とか考えてるのだけど、死にたい人がまわりにいると、そういうのが捗っていいですね。よくないですね。