ライフ・イズ・カルアミルク

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小川を見続ける人間を保護せよ(雑記)

某月某日。出社。

オフィスに着くも、直属の上司が出張でおらず、特にすることもなくデスクに座りパソコンをいじりながらぼーっとする。「窓際族は自分の席に座ってりゃ給料がもらえるし、楽でいいではないか」と考える人は多いのだろうし、実際俺もずっとそう思ってたのだけど、これは違いますね。こんなにつらいことはない。

唐突だけど、人間の感情というのはもとをたどれば2種類しかない。「自分はここにいてもよい」と「自分はここにいてはいけない」。この2種類。それは動物とまったく同じで、動物は食べ物がない場所に居続けたら死ぬし、寒すぎたり暑すぎる場所に居続けたら死ぬし、四方八方から天敵が襲ってくる場所に居続けたら死ぬ。「ここに居続けたら死にますよ」というセンサーを手がかりに動物はいろいろなアクションを起こしているわけで、人間の反応だって、しょせんそこから派生するバリエーションに過ぎない。一見どんなに複雑っぽい感情だって、もとをたどればただそれだけの話だ。動物と一つも変わらない。ここまでが俺の仮説。

つまり窓際族の話に戻ると、窓際族とは「自分はここにいてはいけない」という信号を絶え間なく受け取りながらもその場所に居続ける人なのであって、これはまあ、動物だったらありえませんわな。窓際族とは人間だけが背負う悲しみである。って、悲しみ自体、人間しか背負ってないものだから、何を言ってるかわからない。単に人間だけが背負ってる、ということだけでいいです。

別に俺は新入社員だから窓際族ではまったくないのだけど、オフィスは居心地が悪い。1時間に2回は抜け出したくなる。そういう意味では(そういう意味だけでは?)営業は俺に向いてるんじゃないかと思う。早く外回りに行きたい。外回りはけっこう楽しんでやれるんじゃないかと思う。お客さんと顔を合わせなければもっとサイコーだ。適当にふらついて昼からビールを飲みたい。

そういえば会社に入る前、近所の河原で、何をするでもなくほぼ一日中ボーッと小川の流れを見ていて飽きなかったことがあったのだけど、オフィスでパソコンとにらめっこしてるくらいなら小川とにらめっこしてたほうが、まだしも自分は仕事をしているような気がする。世界に対して自分の果たすべき役割をちゃんと果たしているというか、そんな気がする。そう考えると、ただ小川の流れをぼーっと見つめているだけの人にも、それなりの対価が支払われてしかるべきではないか。そんな人、今はもうほとんどいなくなってしまったし、貴重だ。

『生態系の多様性の確保』なんてものを名目にトキを保護するくらいなら、それとまったく同じ理屈で、小川を一日中見る人を保護してやってもよいではないか。トキが保護されて、俺が保護されないという理屈があってたまるか。俺は自分のことをそんなに面白い人間とは思ってないけれど、一日中眺めるならトキより俺のほうが面白いという自信はある。そうでもないか。いや別に、俺がトキより面白いかどうかなんてどうでもいい。仮に俺がトキよりつまらない、トキ以下のゴミ人間であるとしても、俺は保護されてもよいという話をしたいのだった。なぜなら俺は小川を見ていて飽きない人間だから。

今週末、久々に河原に行ってきます。そんで一日中飽きなかったら、俺はまだまだ生きれる人間だなって思う。