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黒髪ロングはなぜエロいのか? ―黒ロンでたどる日本文化史―

「9月6日は黒ロン(黒髪ロング)の日」

ということで黒髪ロングでたどる日本史文化史、やります(やるぞ!)。

 

【黒髪ロングの誕生 奈良時代~平安時代】

日本における黒髪ロングの起源は言うまでもなく平安時代。誰もが知っている「平安美人」のヘアスタイルですが、それ以前の美人像とは果たしていかなるものであったか?

これは意外と知られていないし、知りたいとも思わない、あるいはまったく興味がないのではないでしょうか。

それでも説明しますけど、中国の美人像といっしょです。

平安時代のひとつ手前、都が平城京にあった奈良時代、文化を担う貴族たちはせっせと唐の文化を取り入れておりました。「進んでる中国さんをお手本にしよう」ということで、女性の理想像も当時の中国の王朝=唐のそれになります。

が、それから平安京に都を移してしばらくした894年、「白紙に戻そう遣唐使」で遣唐使を廃止、鎖国体制がスタートします。「俺たちには俺たちの文化がある!」ということで以降、日本独自の「国風文化」が育まれ、美の基準も変化していく。こうして日本固有の平安美人が誕生する。

 

さて、天平時代の日本の美女を描いた「鳥毛立女屏風」と「源氏物語絵巻」に描かれた平安美人を並べてみます。

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(左が天平文化の美人、右が平安時代の美人)

パーツは似てるけど、違うでしょう。どうしてこうなったか。

 

「鳥毛立女屏風」は唐風の美人です。

この画は輪郭線しか残っていないため白髪に見えますが、ここはもともと、羽毛で飾られていたそうです。おそらくはカラスか鵜の黒い羽毛が頭部に貼られ、艶やかな黒髪を表現していた。現在はそれが剥落した姿ですが、ここに描かれたるは紛れもなく黒髪の和製美人です。

当時のヘアスタイルは正確にはわかりませんが、おそらくは唐風に、ゆったりと大きく束ねてあったのだろうと推測されています。つまり「黒髪=美」の概念は平安以前から存在していたけれども、平安スタイルの垂髪はまだ流行しておらず、唐風に結うことが美とされていた。

平安美人のほうは、おなじみの黒ロンですね。美人です。

 

さて、両者の異なる点を並べてみます。

 

髪…唐風に結った黒髪 ⇒ 長く垂らした黒髪

服…動きやすい唐風の装束⇒10kg近くて動けない十二単

顔…大人の女性らしい肉付き。血色も良好⇒子どものような華奢さ。白粉で血色は不明

 

これらの変化が示すものは何か?

「肉体の肯定⇒肉体の否定」です。

要するに女性からアクションを奪った。女性のお人形さん化、二次元化ですね。

めんどくさいからという適当な理由で遣唐使を廃し、京都に引きこもった平安貴族たちは、結果的に女性を観念の世界に閉じ込めるオタクと化していきます。

平安美人の長い垂髪は長ければ長いほど美しいとされ、長い女性は2m以上あったそうですが、当然これはものすごく動きにくい。十二単はそれだけで10kgを超えるほどで重く、ものすごく動きにくい。平安時代の女性たちは、着物の重みに耐えきれずほぼ終日腹ばいで寝ていたそうです。物思いにふけるとすぐ横になるのも無理ないことでした。

そしてさらに当時は食事も粗末とくれば、筋肉も脂肪も発達せず、女性らしい丸みを帯びた身体は失われ、血の気も退く。そうして女性は、ますます出来のいい人形と化していく。

こんな状況が300年近くも平和に続いてしまったのが平安時代のおそるべき点ですね。エロゲーというか、怪奇小説の世界だ。

 

こうして黒ロンは「お人形さんの美」の象徴として定着します。「洋館に閉じ込められたお人形のようなお嬢様」といえばまず間違いなく黒ロンですが、平安時代の女性は全員がそうなっていく。

 

以下は蛇足ですが、創作に割とありがちな、洋館を舞台にしたいかがわしい物語って「魔性の美少女をめぐって争いを繰り広げる、欲深い男たちの陰惨な物語」って感じでしょ。ところが洋館でなく和風の寝殿造を舞台に妄想が繰り広げられた平安時代は「女性を所有する」という西洋的な発想がないんですね。

だから女性はお人形でありながら、誰も独占しようとせず、みんなでシェアする。当時は多夫多妻が当たり前で、そんな「紳士の時代」だからこそ女性を巡る争いもそうは起きず、平安時代は300年にわたって平和が保たれたっていう、まあ何が平和なのかわかりませんけど、そういう時代もあったんですね。

男性も女性も平和な妄想の世界、酒池肉林のシルバニアファミリーみたいなイメージと言えば怒られそうですが、そうかもしれません。

 

【黒髪ロングはなぜエロいのか】

黒ロンの話に戻します。

平安時代、女性の美の基準は「髪が長くて艶やかである」だけでした。

それもそのはず、高貴な女性は御簾の向こうに隠れていて、男性が見ることを許されるのは、御簾のすきまからのぞく「十二単の端っこ」と「長い髪の毛の端っこ」。この2つしかありません。

 

「服のセンスいいな」「髪がきれいだな」しか判別する要素がないという話で、髪型と服を取りかえただけでブサイクは美人になりかねない。

なんだか変な感じもしますが、現代で言えば「判子絵」はこれと同じですね。顔のパーツはみんな同じで、服と髪型を変えれば別の人間になってしまう。でも全員美少女っていう。判子絵を描く人にとって女性の理想像はただ1つしかなく、現実が平安貴族みたいに見えてるのかもしれない(あるいは単に絵が下手なのかもしれない)。

絵巻物に描かれる平安美人はみんな同じ顔ですし、浮世絵の女性もだいたい同じ顔してますし、美人っていうのはそもそも「判子絵」なんですけどね、多くの文化では。美人とはそもそも観念の中の存在で、固有の肉体を持ったものではない。だからあんまり判子絵をバカにするもんじゃないぜと思うんですが、脱線でした。

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(先ほど貼った「源氏物語絵巻」のズームアウト図。顔どころか角度まで同じ)

 

話を戻して、セックスの話をします。

「まぐわう」という言葉、現代では「セックスする」の意ですが、これは平安時代に生まれた言葉で、語源は「目合う」でした。「目が合う」がそのまま「セックスする」そして「結婚する」をも意味したのがこの時代でした。(「見る」という言葉も「セックスする」「結婚する」の意味があります。これは高校の古典でやったな)

平安時代とは、男性が女性の顔を見てしまった時点でセックスの合意が成立、そのまま男が3日連続で女の家に通えば結婚が成立、という現代から見ればむちゃくちゃな時代でした。「目が合った=即結婚」とはオタクの妄想でもふつうそこまでジャンプしないですね。観念的にもほどがある。

 

現代であれば、たまたま女の子と目があって「あの子、俺のことが好きなのかもしれない…」と思い込んでしまう男は「自意識過剰キモ男」で済みますが、平安時代に「自意識」なるブレーキは存在しない以上「目が合った⇒即セックス」。C級エロアニメかよ、という話ですが、これを理解しない女は「趣がない」として悪いうわさの対象となります。この閉鎖された都において、悪いうわさが立つのは何よりも怖いことですから、男も女もそこだけは気をつけていたというか、そこに気をつける以外に何もない時代でした。へぇ~。

***

ところで平安時代、髪の毛はわれわれが思う以上にエロティックな存在でした。

考えてみれば髪の毛とは、「自分の肉体の一部でありながら、しかし肉体と呼べるか怪しいもの」であります。髪は自分の体から生えてくるけれども、その細胞自体は死んでいる。切り落とせば自分のものではなくなる。

自分と外界のあいだに存在する、中間的な存在が髪の毛です。だからこそ女性の体が男性の視線に晒されてはいけない時代に、髪の毛を見せることだけは許されたのです。つまり髪の毛は他者を迎え入れるためのインターフェイス、コミュニケーションの入口として機能しました(って言うとかっこいいけど意味がわからんな)。

 

平安時代、女性は成人すると黒髪ロングのお人形さんになりました。

人形になる前、髪が伸びない子どものうちは「尼削ぎ」という肩まで切りそろえた髪型で、成人してから「こんなただれた世界は嫌だ!」と出家して尼になるときも、伸びた髪を切って「尼削ぎ」になる。つまりこの当時、男性を受け入れられるのは黒ロンの女性だけだったということです。

「髪の毛を伸ばしている」とは「男性を受け入れる準備ができている(=私はセックスOKよ)」を示す記号でもあったわけです。黒ロンに漂うエロスの理由はこれかもしれませんね。今でもエロスを感じるのだから、当時の黒髪は、どれほど生々しいエロスを漂わせていたことでしょう(実際、イスラム教徒の女性がスカーフを頭に巻いて髪の毛を隠すのもこれです。髪の毛を人目に晒すのをめちゃくちゃ恥ずかしがる)。

 

【黒髪ロングはギリギリモザイクである】

この時代の黒ロンは、女性にとっては「お人形であることの象徴」です。

では、男性にとっては、どのようなものだったか?

品格のあるたとえをするなら、AVのモザイクです。

モザイクはたしかに肉体を隠してはいるけども、イマジネーションを膨らませれば見えなくもない、そういう中間的な領域です。

平安貴族は女性の長く伸びた髪の端を見て、AVのモザイクを見てしまったレベルに興奮し、「ありのままのそれが観たい!!!」と御簾の向こうへ突進していった。だからこそ光源氏のように「恋多き男」になるのだろうし、一度結ばれてしまったらめちゃくちゃ冷たい、という悲劇も山ほど出てくることになる。モザイクを取ってしまったら、意外と味気ないもんですからね(知らないけど)。平安時代、女性と恋愛するのは、現代で言えばネットでエロ動画漁る感覚に近いものだったと思われます。

 

ところでアダルトコンテンツの局部にモザイクをかける文化なんて日本だけだそうで、なるほど「国風文化」であるなあと思います。

考えてみれば、黒髪の端に欲情するのも、モザイクに欲情するのも、人間離れした造型のアニメキャラに欲情するのも、もしかしたら全部異常ではないでしょうか。たかが記号に全力で欲情するのは、今も昔も変わらない。

黒ロンは清楚の象徴どころか、ジャパニーズHENTAIの起源だったのかもしれません。

 

※めちゃくちゃなこと言ってるようですが、この時代がめちゃくちゃなんです。平安時代の色恋事情は橋本治『源氏供養(中公文庫)』が異様におもしろい。源氏物語は紫式部という極めて冷静な観察眼を持った女性が描いた、イカれた閉鎖世界のレポートかもしれない。

 

【黒ロンの断絶 平安時代~江戸時代まで】

黒ロンを汚しまくってますが、最後にはなんとかします。安心してくれ。

 

さて「黒髪ロング=女性の美」は江戸時代のはじまりとともに終わり、江戸からは日本髪の流行がはじまります。なぜ黒ロンは途絶えたのか。

答え。京都が文化の中心から外れるため。

 

黒ロンの全盛期を生んだ平安時代は鎌倉幕府の成立により、その栄華を終えます。終えますが、京都はまだまだ文化の発信地。なにせ鎌倉幕府は武士政権、文化なんてなにもない農民出身の田舎者たちの集まりですから、文化については京都のそれを参考にするしかなかった。

その一方で、鎌倉時代は武士の時代ですから、男が肉体を主張しはじめます。平安時代の貴族の男は、肉体を軽視した観念的な存在でしたが、農民はマッチョです。だから男性の理想像は運慶が彫った「仁王像」のような力強いものになる。が、女性はまだ肉体を持たないお人形さんです。男だけが社会を作って、女性はお人形さんのまま放置される。だから鎌倉時代、黒ロンは美です。

 

鎌倉の次が室町時代。京都に本拠を置く室町幕府は朝廷と仲良し。京都の文化と調和するため黒ロンは相変わらずの美ですが、足利家の支配体制は次第に崩壊。室町幕府の力が弱まるにつれ、全国に群雄割拠する戦国時代へ突入します。

乱暴者の織田信長が天下統一をして黒ロンはいよいよ消滅の危機か…?と思いきや、安土桃山時代は文化の中心を大阪に置き、ご近所の京都の文化はまだ健在です。大河ドラマを思い浮かべればわかるとおり、豊臣秀吉の側室、淀君は長い垂髪ですね。これが最後の黒ロンでした。

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(最後の黒ロンこと淀君。さすがに武士の妻、平安美人ほど人形してない感じである)

徳川政権の江戸時代に入って「これからは武士の時代だ!」と、当時はまだド田舎であった江戸を文化の発信地にしようという動きがはじまる。こうして京都は、平安以来はじめて、文化の中心地から外れ、黒ロンの歴史も絶たれます。

 

さて、江戸における結髪の流行は、歌舞伎役者「出雲阿国」にはじまります。

江戸初期に流行した「遊女歌舞伎」は、名前のとおり遊女(風俗嬢)が演じる歌舞伎。だから遊女が男役も演じます。そこで遊女歌舞伎界のカリスマ、出雲阿国が頭に髷(まげ)を結い、男役を演じるのですが、文化といえば歌舞伎と風俗しかないド田舎の江戸でこれが大いにウケた。ここから江戸の女性たちは遊女のマネをして、髷を結うようになります。

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(江戸初期の遊女たちを描いた「松浦屏風」。この時代は垂髪と結髪が共存し、結い方も自由)

風紀委員のごとく厳格であった春日局(3代将軍 家光の乳母で、大奥システムの開発者)まで晩年には髷を結ったというのだから流行は本物で、結髪は江戸時代の正式なスタイルとして定着していきます。

なぜ地位の高い彼女まで、下層民のマネをして髷を結ったのか。どうして下層階級の文化をわざわざ取り入れたのか。

それは、彼女が武士の妻だったからです。武士の妻である以上、髪をだらんと垂らしているより、結ったほうが活動的でふさわしい。京都の文化を引きずるのもしゃくであるし。

と思ったかどうかは知りませんが、こうして黒髪ロングの時代は終わり、髪を結う時代がはじまる。そうして結い方も洗練され、日本髪の時代が到来します。女性はお人形さんから、男性と同じく肉体を持った人間として生きはじめるのです。

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(江戸時代後期、喜多川歌麿「北国五色墨 川岸」の日本髪美人。「肉体を持つ」とは「おっぱい晒す」の意味では当然ない)

 

しかし、女性を解放したはずの日本髪も「ちゃんと結わなければダメだ」という制度に変化していく。自由とは難しいもので、みんながマネをしはじめるとルールに変わってしまうんですね。

今でこそ「髪型は趣味の問題」と当たり前のように思いますが、昔は髪型や服装といったディテールこそ本質で、内面なんかどうでもよかった。そういう時代の方がずっと長く続いてきたわけで、現代は特殊なんです。

人間とは無数のディテールの集積であり、ディテールとは無数の歴史の集積である。

「たかが黒ロン」と侮るなかれ。そこには膨大な歴史が渦巻いているのです。

 

【現代の黒ロンを語る前に…】

…というわけで、黒髪ロングは江戸で断絶します。

現在の黒ロンブームは「第二次黒ロンブーム」と呼べそうですが、しかし本当にブームなんだろうか…?

 

ブームなんです。

 

書き忘れていましたが、この記事は下記の催しのために書かれました。

 

「黒ロン祭2013 開催のお知らせ」

http://d.hatena.ne.jp/mercury-c/20130905/1376663904

 

主催の水星さんは、普段は紳士なのに黒ロンのこととなると常人には理解しがたい情熱を示す、よくわからない人です。

どうしてこんな黒髪キチガイが現代に、僕と同世代に生まれてしまったのか。これはその謎を解きほぐすための、ごく私的な記事でもあります。そしてごく私的なことを考えるのにこそ歴史は役立つ、という教育的な記事でもあるんですよ、これは。はだしのゲンを図書館に置かないから俺が歴史教育をやるんだ。

***

オナホ男はじめ教育的によろしくない文章ばかり書いてきた人間が何を言うんだって話ですがさてそれはともかく、本当に黒ロンの波は来ているのか。

たしかにアニメや漫画に、黒ロンのキャラクターが増えてるとは思う。黒ロンの女優、アイドルも増えた気がする。気がするだけで、統計的な事実を示せと言われると困ってしまうので、「だって、ここに黒ロンキチガイがいるじゃないか!」で逃げます。勘弁して下さい。

 

参考:【二次元】アニメに登場する黒髪ロングな女キャラまとめ

http://matome.naver.jp/odai/2135597611927336901

 

…さて、黒ロンの歴史に断絶がある以上、平安時代と現代の黒ロンをストレートに結ぶわけにはいきません。「女性差別の復活だ!」「黒ロン好きのオタクはキモい!」と言い立てるのは、ちょっと待ってほしい。

平安時代には黒ロンは先述のとおり時代(というより時代を作った男たち)の要請がたしかにありました。女性は黒ロンにする必然性があった。しかしいま、黒ロンにすることにはどんな必然性があるのか…?

必然性はありません。この自己決定の民主主義の時代、黒ロンは「自ら選び取るもの」です。

そしてそれが、いったいどうだっていうのか…? 

 

ということで、黒ロンの日本文化史、歴史編は終わり。

次回は「現代黒ロン文化論」と題して、現代の黒ロンの特殊性について、そしてなぜ今後、ますます黒ロンブームが来ると言えるのか。一席ぶちたいと思います。

 

続き:「少年は黒髪ロングの夢を見るか?ー黒ロンから見た現代のドラマ」

http://johnetsu.hatenablog.jp/entry/2013/09/06/225928

 

 ※本稿は橋本治「ひらがな日本美術史(全7巻)」に多大な影響というか全面的な影響を受けております。驚異的におもしろい。

http://www.amazon.co.jp/dp/4104061018