ライフ・イズ・カルアミルク

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やなせたかしは偉大なる凡人だった

やなせたかし氏の訃報を聞いて、そういやアンパンマンって今でも子どものヒーローなんだよな、とちょっと驚いた。

 

「漫画家やなせたかしさん 死去」NHKニュース

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131015/k10015283981000.html

 

「アンパンマンに込められた哲学が深い」なんて一時期ネットで話題になったけど、本当にそうか?と俺は思う。やなせたかしの詞は、正直に言ってすごく陳腐だ。

彼の場合、詩もそうだけど「幸せ」「愛」「希望」等々、抽象的な概念が胸焼けしそうなほど現れて、「これは子ども向けの歌なのか?」と首をひねってしまう。うまいかヘタかで言えばこの人の作詞は確実にヘタで、つい観念ばかりが先走ってしまう、頭でっかちな人だ。「アンパンマンは当初、貧困に苦しむ人々を救済するという内容で、未就学児にはとうてい理解不能であり、批評家や幼稚園の先生から酷評された」なんて逸話を聞くと、やっぱり理念が先行する人なんだと笑ってしまう。 

それでも俺がやなせたかしの詞に感動してしまうのはただ一点、「アンパンマンは君さ!」と臆面もなく言い切ってしまうその一点で、彼は紛れもなく偉大だった。「もしかしたら、君も俺みたいにカッコよくなれるかもしれないぜ」とヒーローに背中で語らせるのが一流の作家だとするならば、やなせたかしは「君がアンパンマンなんだ!」と、なぜか歌の中に作者がしゃしゃり出てきて語ってしまう、作家としては三流の、暑苦しい親戚のおじさんだ。それはカッコいいどころか、野暮ったくて格好悪い人だろう。だから子どもは、ちょっと成長すると途端にアンパンマンをバカにする。

「アンパンマンは君さ!」のフレーズは、小学校に上がればもうからかいの対象になってしまうくらい、こっ恥ずかしいフレーズでもある。でも、こんなことが大人になっても言えるのはとんでもなく頭でっかちな人だけで、まだ自分を把握できない幼い子どもは、こういう大げさなことを言って励ましてくれるおじさんを待っていたりする。そういうのを待ち望んでる自分ってのは傍から見ると恥ずかしくて、だからアンパンマンをバカにするんだろうな。俺もきっとそうだった。

 

アンパンマンが今の姿で初めて絵本になったのは1973年のことで、連合赤軍事件の直後だ。68年からはじまった学生運動はとっくに下火になり、72年には最後の勢力である連合赤軍も力尽きる。「理想を語るのはもうダメだ」と夢を持ってしかるべきはずの若者たちが下を向いていく時代、50歳を超えた無名のおじさんが「アンパンマンは君だ!」と声を上げる。それは風車に立ち向かっていくドンキホーテのように滑稽だったかもしれないけれど、でも本当は、そういう人が出てくるのをみんな待っていた。だから73年、やなせたかしは異例の遅咲きの漫画家として登場する。日本人が次々と夢をあきらめ、口を開かなくなっていく中、それでもなお愚直に夢を語り続けてきた、頭でっかちで凡庸な人間がやなせたかしだ。時代は鬱屈して、鬱屈したままで、だからアンパンマンは今でも子どもたちのヒーローなんだ。

三頭身で頭ばっかり大きくて、ヒーローにしては不格好、しかも頭にはあんこしか詰まってない、単純明快なアンパンマンは、きっとやなせたかしそのものだったんだろう。

 

やなせたかしの世界は深い」と言ってわかった気になるのは、絶対に違うと俺は思う。彼は徹底して凡庸な人間で、誰でも思いつくような、当たり前のことしか言わなかった。でも世の中は、いつのまにかその当たり前をどこかに置き去りにしてしまった。それが忘れられたままだから、アンパンマンはみんなの平和を守るため今日も世界をパトロールしているんだ。

「深い」なんて言って、やなせたかしを神棚に置いちゃいけないんだと俺は思う。俺たち一人ひとりが、凡庸で不格好な正義のヒーロー、アンパンマンであり、やなせたかしだ。そう言ってやらなければ「アンパンマンは君さ!」と励ましてくれた氏に申し訳が立たない。夢も語れないような世界で、それでも一人ひとりがアンパンマンになること。それがきっと、一番の追悼なんだと俺は思う。

 

俺もネットアンパンマンとして、インターネットの平和を守りたいと思います。

 

合掌。