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ライフ・イズ・カルアミルク

本当のライフハックを教えてやる

電子書籍はいかにして物語を語るか?『オナホ男』が語る電子書籍の方法論

小説

『オナホ男(作:@johnetsu)』無料配信、はじまりました。

http://www.netpoyo.jp/event/20120504_2

ということで電子書籍はいかにして物語を語るか?』という思い上がったテーマを本当に語るのかどうかということはさておき、電子書籍における物語=フィクションの方法論について語ってみようと思います。『オナホ男』執筆時の体験を交えつつ、電子書籍の未来、そして俺の未来について語ります。

オナホ男、生まれる。

そもそもこの企画「電子書籍で雑誌出すからネットをテーマにした物語を書いてみろ」とねとぽよの編集長からムチャ振りされたのがきっかけで、俺は第一感で「あっ、ムチャだ」と思いました。「やりたくねえ」と思いました。

まあ俺が人生で1度も小説の執筆経験がないのが9割程度を占める理由なんですけど、それと同じくらいかそれ以上に、電子書籍、というかパソコンやiPhoneみたいなディスプレイが、そもそも小説に全然向いてないだろと思ったからです。俺は小説は紙で読みたいし、たぶんみなさんもそうだと思う。だいたいの人は電子書籍で小説読みたくない。「それでも勝算があるとしたら、これしかない…」とひねり出したのが『オナホ男』の核となるアイデア、すなわちWebページのパロディの連続で物語を進めていくという手法でした。

どうしてその方法論を採用したのか以下、長々と説明します。まあアイデア自体はちょっと頭のいい小学生くらいだったら思いつくレベルのもので、それを実行に移したのが酔狂、という話もあるのだけど……。

(以下、本文で「ディスプレイ」と書いた場合、パソコンやiPhoneなどの画面を指します。Kindleのような電子ペーパーは想定してないものとみなしてください。電子ペーパーの画面は小説にも向いてると思いますが、それでも本には勝てないような気がしています。が、それはまた別のところで)

お前らパソコンで小説読みたいか?

俺は読みたくないです。たとえばパソコンの画面を前にして、インターネットの雑文でも何でもいいけど、いちいち立ち止まって文章に描かれた情景を頭の中に思い描いたり、登場人物に深く入れ込んで感情を根っこから揺さぶられてしまった経験、画面の前のあなた、胸に手を当てて考えてみてください。あなたは経験がありますか? 

少なくとも俺は1度もないです。もちろん俺の頭がおかしいだけなのかもしれませんが、たとえば某ソーシャル・ブックマークサービスで「○○があなたの人生を変える3つの理由」とか「○○に××をいっしょに食うとうますぎてヤバイ!」とか、ちょっと考えればブックマークしねえだろそれ、お前の中の何がお気に入ったんだよ、と唸らざるをえないゴミ記事・クソ文章が平然と幅をきかせ続けるこの惨状、ウェッブという言論不毛地帯を鑑みるに、みんな大して真剣にインターネット見ないわけです。

むちゃくちゃ重要なことを言うと、ネットで伸びる記事というのは、人がディスプレイで文章を読むときの生理感覚にダイレクトに訴えかけるものが多い。これは内容云々以前の問題です。だから中身がめちゃくちゃ薄い、和民のレモンサワーの100倍薄いような記事でも、外側の箱、読者にページをスクロールさせる仕組みさえうまくできていれば、それだけで読者を読ませた気にできる。で、読者も読んだ気になれる。大脳新皮質から快感物質が出る。また違うゴミ記事を見る。頭がよくなった気がする。ドーパミンが出る。ネット中毒になる。生活が終わる。そういう面が、多かれ少なかれあると思います。って他人事みたいに書いてますが、俺もまったく馬鹿にできなくて、あれ、おなかが痛くなってきたぞ……。

言うまでもなく、インターネットはだらだらするもの。画面は漫然と眺めるもの。画像や太字だけ拾うもの。文字は左から右へ流れるもの(それを実際にやってしまったのがニコニコ動画で、本当に発明だと思う)。

ウェブ、あるいはディスプレイを通した言語空間というのは、実はそういったかなり特殊な空間なのです。で、ウェブのような非常に特殊な言語空間の中で"小説"はどのように成立が可能なのか?

実はこれ、かなり難しい問題です。

どうしてパソコンだと真剣に文字が読めないのか?

身も蓋もないことから言います。本とディスプレイを見ている時では脳の働きに明確に差が出ること、これは脳科学がすでに指摘しています。ディスプレイを見ているときのほうが、紙面を見ているときよりも脳が不活溌になる(ニコラス・G・カー『ネット・バカ』等参照)。ここでは深入りはしませんが、別に脳科学に指摘されるまでもなく実感としては納得できるのではないでしょうか。とにかく読者の脳を働かせて、イメージの世界を(ディスプレイの中ではなく)頭の中で広げてもらわないことには話にならない"小説"という表現を、ディスプレイでやってしまうというのは基本的に不利なんです。 

自分を含めて、人間ってパソコンの画面を前にすると思考がトバない。特にフィクションの世界には全然トバない。後述する「電車男」や「ケータイ小説」だって、ベースは実話なのであって、完全なフィクションとわかってるフィクションが文章だけでリアリティを立ち上げるのは至難の業です。読者がその気になってくれないと、フィクション陣営としてはお手上げ。降参です。読者が読書モードに入ってくれないというのは、内容以前の問題になってしまいます。

……でも、電子書籍で小説をやるしかない。どうしよう。

などと真剣に悩むこともなく、まあアイデアも出ねーし断りゃいいや、どうせギャラ出るわけでもねえし、とだらだらTLを更新しつついつものようにアホみたいに口を開けてインターネットをしこしこしていたある日、突然電撃が走りました。

「待てよ。だらだらネットの世界に浸ってクソみたいな記事をぼーっと眺めてるいまの気分をそっくりそのまま、小説に持ち込んだらいいんじゃないか……?」

というのは嘘で、アイデアは最初から思いついてたんですけど(天才なので)、まあそんな感じでオナホ男プロジェクトはスタートしました。

ディスプレイ使うんだったら動画でやれ

内容に入る前に少し寄り道を。

紙面に適した表現が小説だとするなら、ディスプレイに最適な表現(といって語弊があるなら、いちばん自然な表現)は動画だと思います。

受け手が指をくわえてボーッと待っているだけでも画面がパチパチ切り替わる、音は流れる、ニコニコなら誰かが感想も言ってくれる、とまさにいたれり尽くせり。

基本的にディスプレイというのは、画面の側から主張してくるメディアなんですね。「これを見ろ!!!」ととにかくプッシュしてくるメディア。大衆の洗脳装置としてテレビが史上類を見ないほど成功を収めたのも、映像のパワーによるところが大きいわけです。悪い言い方をすれば、とにかくうるさい。絶え間なく発光するこの真っ白な画面に向きあうというのはノイズまみれの空間に身を晒すということと同義で、だからネット上の言葉はあんなにうるさいんだけどまあそれはいい。比べて、紙はずっと静かです。読む側が自分の頭の中で世界を構築する余地が残されている。読み進めるスピードも、自分の好きなように調節できる。

結局ディスプレイという空間の中でフィクションを立ち上げるなら、動画という形式がいちばん自然だと思う。視覚も聴覚も利用できるから。個人的には漫画、ウェブコミックでもギリギリだと思います。漫画はやはり紙で読むほうが落ち着くという方が多数派ではないでしょうか(もちろん、ディスプレイに適した漫画というコンセプトも可能で、実際にたくさんあります)

そして、絵でダイレクトに視覚に訴えかけられる漫画ですらディスプレイが向いていないとしたら、小説というのはもっと絶望的です。絶望からのスタートです。

まとめます。

1,「小説書くぞ!」紙でやれよ。

2,「ディスプレイ使うぞ!」動画でやれよ。

このツッコミに反論できなければ「なぜわざわざ、ディスプレイで小説をやるの?「表現」と「媒体」がちぐはぐじゃないの?」となってしまいます(俺の中で)。「この作品はディスプレイで、"小説"としてやる必然性があるんだ!」と(俺の中で)胸を張って言えるような作品でなければ意味がない。それがオナホ男が抱えた課題でした(でもすぐに解決しました)(天才なので)。

無理だ無理だって言うけど、ネット発の小説いっぱいあるじゃん

あります。実際、企画の最初に思い出したのが「電車男」で、オナホ男はそのタチの悪いパロディをやってやろうと考えてたんですがそれは後ほど。

ネット発の小説は、基本的に紙に書かれるそれとはかなり様子がちがいます。

たとえば電車男をはじめとする、2chの形式をそのまま物語に持ち込んだ作品群。まおゆう、黒ちゃんねる、有象無象のSS等々で、これに関しては以下の記事が必見。

『創作フォーマットとしての2ちゃんねるhttp://mogmog.hateblo.jp/entry/2012/12/14/135312

 

2chというのは、実はネットにおける創作のフォーマットとしても非常に優秀です。2chまとめサイトが爆発的に流行したのも、あの形式が非常に容易に物語を作ってしまえる、優秀な創作フォーマットだからにほかなりません(たとえば『痛いニュース』の政治関連まとめの非常にわかりやすい物語の作り方)。 

またネット発の小説といえばもちろんケータイ小説は外せませんし、古くは『絶望の世界http://aaaaaa.ojiji.net/)』なんて、俺も好きで読んでました。

2ch小説含め、これらの物語の共通点はいろいろあるんですが、もっとも重要な点は、文章の章立てを細かく区切って読む側にテンポを与えていること。紙の本とは違って、自分がいま全体のどのくらいまで、どのくらいのペースで読み進めているのか把握できない、真っ白な砂漠を進むがごときディスプレイをスクロールする式の小説には、このテンポ作りが必須です。

2chの実話系まとめスレがしょうもない内容でもそこそこ読めてしまうのは、内容云々よりもするする読み進めていくあのテンポ感が生理的に気持ちいいから、という点が大きいと思います。先ほど例に挙げた『絶望の世界』も、いま読み返すと古びてしまっている面も多々ありますが、それでも読めてしまうのは「短い章立て」と「実話形式の物語」という2つの手法が非常によく効いているからではないでしょうか。

犬でも読めるウェブの文章

個人的には、まとめブログや2ch風小説をだらだら読んでしまう行為も、あの憎きクソソーシャルゲームでポチポチボタンを押してどんどん進行してよだれを垂らしながらほいほい金銭を支払ってしまうのとまったく同じ、人間の快感報酬系のメカニズムを悪用した『非道のパブロフ犬メソッド』と思わなくもないですが、そこに文句を言っても仕方ないし、読み手に注文はつけられない以上、自分もその土俵に乗っかりながら何かやるしかない。パブロフの犬たちにも文章を読ませるしかない。というか逆にそこさえクリアできれば、内容のハードルは相当下がるなと思いました。下手なヤツがやってもある程度おもしろくなっちゃうんですよね。この手法。

 

なので本作ももれなくそういう手法を採り、1記事あたり、なるべく800字前後に収まるよう注力しました(それでも長いんですけど、あまり短いと物語が語りづらい)。

本作は総字数4万字を超えてますが、ふつうに一本道の文章で、4万字読ませるなんて無理です。青空文庫の長編をパソコンやiPhoneで一気に読破できる人、頭おかしいと思う。

テキストサイト全盛期だったらともかく、長文なんて内田樹が書かないかぎり読まれないこのツイッター脳時代、「長文読ますぞー!」といくら意気込んでも無理なもんは無理なわけです。4万字読ませた時点で勝ち。それくらいの気持ちです。

(余談だけど「長文乙」を以前ほど見かけないのは、そもそも長文がネットに書かれなくなったからでは。長文の投稿はまとめサイトでカットされやすいため、表に出てこなくなったのもあるし、もちろんツイッター等々の影響もあるんだろうけど)

ネット特有の言語コード

インターネット方言ってあります。ネットスラングはそのもっともわかりやすい例ですが、実際にはより見えにくいレベルで、ネット特有の言葉遣いや文法というのがある。2chなら2chに向いた書き方や書くべきこと、AmazonレビューならAmazonレビューの、TwitterならTwitterの、それぞれに適したコードがあるわけです。そのサービスが漂わせる「空気」に合った言葉遣いをしないと浮いてしまうあの感じ、といったら実感しやすいでしょうか。

これ詳しく書くと1冊の本ができそうなので省きますが、端的に言うならネットの言葉は『うるさい』。自己主張の強い言葉、って言ったらいいのかな。詩人の谷川俊太郎が「詩に使える言葉はうるさくない言葉、主張のよわい言葉だ」という趣旨の文章をどこかで書いていましたが、ネットの言葉の多くはその対極にあります。つまりネット特有の言語コードを利用して物語を書くということは、基本的に詩に使えない、谷川俊太郎でさえ見棄てるレベルの言葉で、物語を物語るということにほかなりません(極論です)。

…まあ、そういったジャンクな言葉なり語り口を使うのはラノベをはじめとしてふつうの小説でもやられることなんですが、電子書籍の場合はよりジャンク度の高い、輪郭のはっきりした言葉を使わないと読み手の注意を喚起できない。と思って、文章の密度はこれでもかというくらい濃くしたんですが、若干くどすぎたかなという反省も…。

電子書籍と小説の相性は、本当に最低なのか?

文句ばっかり言ってきましたが、電子書籍にはいいところもあります。

1つは、フルカラーページでいくらでもデザインができる点。デザインと小説の融合ですね。まあ、オナホ男はここでわかりやすく売りを作ったわけです。

ただこれはコスト面で電子書籍が有利というだけで、別に紙面でもやろうと思えば可能です。たとえば吉村達也のホラー小説『ついてくる』はデザインと地の文章をシンクロさせた労作でしたが、どうにもデザインに頼りすぎた印象があり、いまいち文章と呼吸が合わない。個人的にはあまりたのしめませんでした。

デザインはパッと目に飛び込んでくるのに対して、文章は脳に入ってくるのが遅いんですね。だから、小説の文章と噛み合ったデザインをつけるのは難しい。実際、世の中にそういう小説が少ないのは、そういうことなのだと思います。雑誌とかならいいのだけど、小説の文章は読者の想像力を引き出してナンボなので、デザインに頼りきりになっても仕方ない。ラノベみたいに挿絵を数点入れるくらいが関の山かなと思います。

実はそれをいちばん自然にやってるのが、エロゲ。ノベルゲームの形式です。あのクリック文字送りはテンポ感を出すのに最適だし、イラストやエロシーンで受け手の関心を持続できるし、音楽もかわいい女の子の声も出せるしで、考えれば考えるほど、エロゲってパソコンでやる小説のベストな形式じゃんと思った。必然性を突き詰めるとエロゲに行き着く。

もう1つ電子書籍のいいところ。ページの大きさを自由に決められることです。今回は縦スクロールにしたため、ページがズラーッと長く続いて、スクロールするとえっ!みたいな仕掛けがけっこうあります。まあ一発ネタっちゃ一発ネタなんだけど。

あと電子書籍でできることといえば、音楽付けられるとか動画入れられるとか、ボタンを押してストーリーを選択式にできるってもあるんだけど、それなんてエロゲやっぱりエロゲ最強なんですね。「『文字を読む』という退屈な行為を、インターフェイスの工夫によってどう解消するか?」という問いを徹底すると、エロゲに行き着く。優秀なシナリオライターたちがエロゲを表現の場に選ぶのも納得です。

 

……という感じで、まあメリットもなくはないんですけど、デザインの力がどうしても必要でない限りハンデのほうが大きすぎるという印象は拭いがたいです。面白いことをしようとすると、どうしても小説の枠をはみ出してしまう。まあ本作も小説と呼べるかどうか怪しいんだけど、そもそも「小説」というジャンル自体、出自が非常に怪しい、うさんくさい芸術だし*1、それを思えばこれだって立派な小説だよ、と言えてしまう気はしてるんですが……。

まとめる。

ということで、どうだったでしょうか。

「『電子書籍で小説をやる』の最適解=エロゲー。次点が『オナホ男』」だということ、わかっていただけたでしょうか。何度も繰り返しますが、少なくとも現時点では、我々にとってディスプレイで小説を読むという行為は不自然である。身体化されるまで至っていないわけです。たとえばそれは「読書=声を出して読むこと」だったのが、近代に入って読書=黙読が当たり前になった現象と同じ流れの中にある。文字を読むという行為の意味、作法は、時代や社会によっていくらでも変わります。

これから先の世代は、ディスプレイでふつうに小説が読めるようになる(あるいは、ディスプレイで読めるような小説しか読まれなくなる)かもしれないし、Kindleみたいなデバイスが広く普及すれば、また話は変わってくるのかもしれません。でも現時点では、『オナホ男』で闘うしかなかったなと。

 

また、内容についてもちょっと補足を。

先に「電車男」のパロディと書きましたが、メッセージとしては「電車男憎し!!!」くらいのつもりです。「ネット民はみんな親切!インターネットって素晴らしい!」なんて俺には信じられなくて、おい何言ってんだインターネットはクソだぞ、というのが率直な実感だった。インターネットって本当にどうしようもなくて、バカバカしくて、ゴミの吹きだまりだし時間の無駄だけどついつい見ちゃうんだよね、本当に俺はダメだ、もう死にたい、というようなもの。だからネットをテーマにする時点で感動作なんてありえない。ドタバタの喜劇にするしかないし最後は主人公を殺すしかない、インターネットに殺されるBAD ENDしかない、と思いました。どうやって育てられたんでしょうね。

いやネットおもしろいんだけどさ、ネットばかりしてると死ぬよ。本当に。若い世代に言いたいんですけど、もっと紙の本を読め。なんでもいいから。インターネットの発声法しか知らないやつは、のどを枯らして死ぬんだ。

インターネットの言葉しか知らないというのは、本当に不幸だと思います。これから先の世代は英語に親しむのと同じように、紙の言葉にも親しむ機会を作らなきゃいけなくなるかもしれない。あるいは話し言葉もそうだし、何でもいいのだけど、とにかくいろんな種類の言葉を自分の中に持っておいた方がいい。それが自分の中で逃げ道をつくる手段の1つでもあるから、って、脱線したな。

そろそろまとめます。

この作品、いろんな方にお世話になりました。特にデザインを担当してくれた倉又さんなんて、これ全部のページをデザインしていただいたんですけど、ただでさえ分量スゴいうえに、俺が思いつきでコロコロ指示を変えるもんだから本当に大変だったと思います。感謝。

いや自分でもよく書けたなと思いますし、いろいろな方面から「おもしろかった」「頭がおかしい」「狂ってる」とお褒めの言葉をいただけて本当に書いてよかった、と思いましたし、ぜひぜひ色々な方に読んでいただきたいんですが、ただ、反省点が1つ。

 

オナホールじゃなかったら絶対もっと伸びた。

 

 

次回はもっときれいな小説書きます。次回あるのか知らないけど…。

 

「オナホ男」

*1:高山宏『近代文化史入門-超英文学講義』では、このあたりの話が面白く書かれてます。オススメ。オナホ男は書簡体小説の発展系と見ることもできるのかな