ライフ・イズ・カルアミルク

本当のライフハックを教えてやる

【日記】そしてみんな無職になる(10月5日~11日)

 10月5日(土)

今年で65歳、来年4月に定年を迎える親父の誕生日。
5年前だったか、たばこの吸い過ぎで肺をやられて入院して、以来声帯がボロボロのスポンジみたいにかすれているような、まあその前から頼りないかすれた声ではあったけれど、スポンジはスポンジなりに元気そうな声が電話越しに聞こえて安心する。入院以来、たばこをやめた反動なのか暇さえあればスナック菓子を食うようになって、当然のごとく腹が出て糖尿病が悪化、朝昼晩、食前にインスリンを摂取せねばならぬ体になっていて、アメ公かと思う。
 
そもそも中卒で趣味もなく、会社の外に人付き合いがあるわけでもなく、ほとんど出世することもなく働いてきた親父がここにきて放り出されて、これからどうするんだろう。年金は出るから生活は心配ないにしても、スナック菓子食べる以外何もすることがないしたら、ちょっとぞっとする。アメリカ人だったらホームパーティーでもするんだろうか。イオンモールを徘徊する老人にはなってほしくないな、と思うが、そういえばパチンコがありました。パチンコも退院を機にやめたんだけど、最近やってんだよな。となると、その次はソーシャルゲームかな、あれは「どこでもパチンコ」みたいなもんだよな。「介護の現場でボケ防止にゲームが使われる」なんて話はだいぶ前に聞いたけど(もぐら叩きとかやるらしい)、おそらくソーシャルゲームにハマる老人はこれからぞろぞろ出てきてもおかしくないはずで、そうなってなお「ソーシャルゲームはボケ防止に効果的だ」なんて言えるんだろうか。
言うんだろうな。
 

10月6日(日)

無職になったいかそーめん(@ikasohmen)さんの門出を祝して、上野の『大統領』で昼飲み。ひろくん(@tamtam_rev3)と水星(@mercury_c)さんと俺で、会社員と無職が3:1の比率。
無職は、じゃなかった、いかそーめんさんは思ってたより元気そうで、会社やめてから頭がすっきりしたらしく、本当によかった。無職、じゃなかった、いかそーめんさんの地元の同級生は6人中4人が無職らしく、そういえば俺の地元(愛知県)も、大学行ったやつは公務員、工業高校行ったやつはライン工、あとはイオンモールの店員で残りは無職かもなあと思う。工場もイオンモールもない田舎が半分以上無職でもおかしくない。俺の親父が俺と同世代だったら、間違いなく無職だったろうな。
 

10月7日(月)

夕方、職場へ保険のおばさんが勧誘に来る。月々3000円で済むんですよと説得されるも、入る気皆無。保険に入るような人間は、ああこれで病気になっても大丈夫だ、って安心して病気になってしまうのであって、保険に入らなければ病気になっちゃいけないという自覚が芽生え、病気になることもない、とは考えていないけれど、自分に保険を掛けるという発想が、面倒くさい。考える気にならない。月々3000円も自分に保険かけるなら、毎月いろんなおもしろ無職に3000円くれてやったほうが遥かに有意義だと思う。
ところで気になったのは、先の保険会社が最近開発したらしい商品(保険の新プランを「商品開発」と呼ぶ感覚ってどうなんだろう、と思うのは俺がメーカー勤務だからだけではないと思う)で、若い人向けにメンタルヘルスの保険をはじめたらしい。精神の都合で出社できなくなったとき保険が日払いでもらえるらしく、いまあなたぐらいの歳の人に人気なんですよと話していた。そりゃそうだろ、俺のタイムラインは受給資格あるやつばっかだぞ、と思うけど、しかし「精神に保険をかける」という発想はなんだか不気味に感じて、俺は絶対に入らないだろうなと思う。誰が俺の精神がおかしくなったって判定するんだよ。「あなたの精神はおかしいです」なんて言われたら、俺は全力で否定するぞ。「近代はすべての狂人を精神病院へ追放した」と批判したミシェル・フーコーを出すまでもなくこんなのはずーっと続いてることだけれど、逸脱した人間は病気認定を飲み込ませて、保険と薬とインターネットでおとなしくさせときゃいいくらいのもんなんでしょうね、もう。

10月8日(火)

人事面談。先の6月、お騒がせした件について「や~、あのときは、焦ってました!」と上機嫌で謝る。
お騒がせした当時、退職を撤回して部署異動ということになって、まあ異動祝いで飲み会をしたのだけど、その席で俺があんまりにもけろっとしているもんだから「もうちょっと申し訳なさそうにしろ」と上司からつつかれてしまった。はい、はいと頷くも、そういう器用なマネもできないし、そう言われると余計に楽しくなってしまう性分なので、ずっとニコニコしていた。いや俺も、申し訳なさそうにしなきゃダメなのかな、とは思ったよ。思ったけども、まさか本当に「申し訳なさそうにしろ」と言われるとは思わなくて、言われたとき「ええっ!?」って驚きながら、笑ってしまった。お酒のせいです。
思えばほかの人はチームの中にいるときにはニコニコして、離れるときは深刻そうな顔をするものだけれど、俺はチームの中にいるときに深刻そうな顔をして、離れるとニコニコするという、まったく真逆のことをやっていたのだなあ、と思う。基本的に組織から離れるのがうれしくて仕方ないタイプなので、ああこんなにも組織に属して安心したい人間がいるのだ、という発見が、入社して一番の発見だったかもしれない。25年かけてやっとそれだよ。

10月9日(水)

仁木恭平さん(@nikikyouhei)がオモコロデビュー(?)したらしく、さすがにおもしろい。ダ・ヴィンチ・恐山さん、冷凍食品さんに続いて、ということで、おもしろい人がぞろぞろ集まってくるなあと思う一方、「おもしろい」という枠にハマって行くのは大丈夫なのかな、と心配もする。どんな表現だって「おもしろい」として受け入れてもらえれば安心できるし、インターネットでお笑いやる人なんてだいたいやさしい人だから、誰も傷つけない表現として笑いへ行くのは真っ当で、人徳しか優れてない俺もそういう人間なんだけど、あまりにも早くから消費者なりネットユーザーが求める「おもしろい」の型にハマって行くのは、けっこう危ないんじゃないかと心配になる。
 
※以下、話が長くなるので、興味なかったら最後にオモコロの記事だけ貼っとくんで読み飛ばしてください、って、なんで俺は日記でこんな気を遣ってるんだ…。
 
でまあ、小野ほりでいさんやぼく脳さんが商業媒体でやってる仕事も、さすがにおもしろいけれど、もう一段上を目指せる人たちだよなあ、とも思う(俺は何様なんだ)。「おもしろいね」と言われ続けるがために頑張る、というのはつらいんじゃないか。昨年「オナホ男」というインターネットを徹底的にこき下ろした小説がちょっとした話題になったとき、おもしろいという称賛の声はあれど、批判の声はなく、まじめに批評する動きもなく、「ワロスw」「マジキチ」しか反応が来ないものをいくら作っても虚しいなと思って、創作はおやすみして、自分で批評やる方向へ向かってる俺の現状。今って「何をもって優れているとするか」という共通の評価軸が壊れてしまった時代で、壊れてる以上は自分で立て直すしかないってんで、いつか創作やるにしても、自分の中で評価軸を組み立てておかないと、まわりの期待に応えるだけしか基準がなくなって、そうすれば限界が来ると思う(これは別に創作だけじゃなく、生きてく上でもまったく同じだけど。世の中が要求するスキルだけ身に着けて前へ進んでも、いつか壁にぶつかる)。
上に上げた方々は現状、俺より間違いなくセンスある人だと思うけれど、しかしあんまり器用にこなせてしまうと(求められるものを、感覚で掴んで生み出せてしまうと)、いつか壁にぶつかったとき困るかもしれない、と思う。で、この壁というのは、世の中ではなくて自分の側にある。
 
ぼく脳さんの漫画を見たとき俺は大笑いしたあと「これがおもしろいなら、俺はもう何も作る意味ないかもしれないなあ…」とショックを受けて、今もその気持ちは根底にあるんだけど、世の中の多数はあまりショックを受けず、「ワロタ」つって安全に消費する。ものわかりのいい世間がそれを安全なものとして受け入れてしまえば、自分の外に壁は存在しないことになり、自分の中に壁を設定しなければならなくなる。そうしてその自分で設定した壁を、自分で乗り越えていく…という繰り返しが近代以降の芸術なのだけど、ぼく脳さんの芸風って洗練の徹底的な否定にあるし、ただ壁を崩していくだけで、一向に洗練へ向かわない…というのは、本当につらい。
だからこそ、「才能が安全に消費される」という形は、ある種の人にとってあまり幸せなことじゃないかもしれない、と思う。こういうのを拾い上げるのが文学の役目なのだけど、内輪化してる文学界は、そこまで目を向けないだろうし。
 
…これは話すとキリがないですね。もっと丁寧に説明しないとダメだろうな。表現する当人の問題というより、批評が死んでるのが最大の問題なんだけど。
ということで、以下の記事おすすめです。
 
「オオカミ少年が成長していく夏休み | (仁木恭平さん)」
 
「日本紙幣の作り方 |(冷凍食品さん)」
 
「あの名作漫画を自動生成! OSB関数の正体とは?(ダ・ヴィンチ恐山)」
 

10月10日(木)

仕事、暇なり。プロジェクトもあらかた片が付いて、若干暇を持てあます。
帰宅してビリー・ワイルダー監督『七年目の浮気』を鑑賞。マリリン・モンローが舞い上がるスカートを押さえるあのシーンで有名な映画だけど、こんなにおもしろいとは知らず、大いに笑う。この監督は天才じゃないかと思って、ググったら超有名な監督だったので恥ずかしくなった。洗練されたドタバタコメディという感じで、面白いです。全然古びてない。
あとマリリン・モンローってセックスシンボルみたいなイメージだったけど、この映画の彼女はセクシーというより、断然キュートですね。ものすごくかわいい。一枚写真ならともかく、動画だと全然印象がちがってかわいい。アメリカ人はいったい何を観てるんだ。
 
風呂に入り、スーパーで半額で買った焼き芋を食べる。味がない。はちみつを掛けたら甘くなった。生活の知恵を感じる。

10月11日(金)

友人からスカイプで相談を受ける。ものわかりの悪い親父が「つらくても限界まで我慢してからやめろ」「逃げるのはダメだ」と言うらしく、どう説得すればいいか、と大枠はそんな話。「絶対に我慢しろ」とまで言わず「我慢してからやめろ」と微妙に譲歩しているのはきっと、「我慢したほうがいい。でも、やめたいならやめたいで仕方ないと思う。でも、俺の口から認めるわけにはいかない」と二重に「でも」が入るようなねじれ方をしてるからなんだろうなあ、みたいなことを話す。彼のオヤジさんは60年安保の時期の生まれで、ということは、物心ついて世の中を眺めるのは、64年の東京オリンピック以降。日本がイケイケドンドンで高度経済成長へ邁進していく時期である。ということは、そんな中でモーレツ社員として働く自分の親の背中を見ながら子ども時代を過ごし、そうして自分は働き盛りの20代を、日本が世界一の金持ちになる軽薄な80年代の中で過ごす。そうしてしかし、自分の子どもを生んだ頃は、昭和が終わり、バブルが崩壊へ向かっていく時期だった…。ということで、その世代のお父さんは、「モーレツに働くことしか知らない」けれども、その結果は壁にぶち当たって、「俺の言うことは正しい」までは自信持って言えない、そういう中途半端な世代ではあるんだろうなあ…と思う。彼の親父さんは一度か二度だけ見たことがあって、硬そうではあるけど、口数の少ない穏やかそうな人だなあ…と思って、そんな親父さんが「実はものわかりが悪い頑固オヤジ」ということになれば、そういうねじれ方をしてるんだろうなと思う。
 
しかしそういう一直線で走ってきた人が会社から放り出されたらどうなるんだろう、と自分の親父と重ねあわせて思う。ひたすら我慢をしつづけて定年を迎えて、「もう我慢しなくていいよ、やりたいことをやりなさい」と言われて、何ができるんだろう。、「やるべきこと」しか存在しなくて、それも「ひたすら我慢すること」であれば、「何をやるべきか?」は考えなくても済む。そうした彼に「やりたいことは何か?」と言っても意味がわからないだろうし、「何をやるべきか?」も、実は考えたことがないからわからない。そんな恐怖があるのだと思う。
親父さんの歯がゆさは、そういう自分の先が見えないことへの不安でもあるような気がする。息子にもこういう道を進ませていいんだろうか、でもこの道しか俺は知らないし、考えられないんだ、だから俺は責任を取れない、という。
 
そうしたら息子の使命は「親父の代わりに俺が考えてやる」なんだと思う。親孝行ってのは、そういう段階にもう行ってるんだろうな。
 
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で、1週間終わり。つい長く書きすぎてしまうし、こんな絶対に拡散しないタイプの日記に文字を費やしてアホじゃないかと思うけれど、まあ気楽に書けるんでいいです。そろそろちゃんとしたものを書かんとあかんかなー…。