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ライフ・イズ・カルアミルク

本当のライフハックを教えてやる

株式会社を本当に退職しました。

各位

お世話になっております。

いきなりですが今月末日をもって株式会社を本当にたいしょく(退職)する運びとなりました(3年ぶり2回目)

【前回までのあらすじ】

株式会社を退職しました。

johnetsu.hatenablog.jp


株式会社を退職しませんでした。

johnetsu.hatenablog.jp

 

しかし退職エントリも昔ほど流行ってない昨今を見るにつけ退職はセンセーショナルなイベントではなくなってるのかもしれないですね。各位、息を吐くように退職してるし。終身雇用の崩壊を肌で感じております。


事務的なことから先に申し上げますと(おっ社会人っぽい)退職日である3月末から1週間以内に独身寮からさっさと引越ししないとしばかれてしまうため、4月7日には東京を離れます。地元に戻るぞい。

思えば大学から足掛け8年、東京メトロシティに住まっていたわけで、その間に築いてきた多数のインターネットのこう言う関係や、ひとつまみ程度のリアルの友人たちと離れることは非常に寂しい。寂しいか? 僕たちはまたどこかで会えるから寂しくなんかないもんね。まあ東京にもまた邪魔しにくる予定なので、そしたら今後も引き続き邪険にしないでください。で。

 

退職の理由。

ですが、「次の道が決まったから」という残念ながらポジティブな理由でして、その理由はコンプライアンス上、ここで申し上げることはできませんが(おっ社会人っぽい)4年間サラリーマンとして会社勤めをする中でようやく自分のやりたいこと、通したい生き様、本当に気持ちの良いセックス等々がだんだんわかってきたな、ということを率直に思います(1個だけ嘘をつきました)。

窓際だろうがなんだろうがとにかく食い扶持をつないで終生を過ごせればよいと何も考えず就職してみた大学時代、「大企業」という名の得体の知れない歯車に巻き込まれるのが怖くて会社を飛び出そうとした入社1年目、社長に退職を引きとめられて部署を移り、世の中の「流れ」というものが次第に見えてきた2年目、再び部署を移って「サラリーマンの寂しさ」みたいなものをつくづくと感じた3年目を経て、4年目の今年、満を持して退職となりました。


・・・なんだけど、どうも抽象的な言い回しになっちゃいますね。まあこの4年で情熱もずいぶん丸くなったと上司・友人・インターネットのみなさんから指摘されるようになった。確かに自分でも、昔の俺はもっと眼光が鋭かった、野性味あふれたオーラが出ていたような気がして大学の後輩に確認してみたら「いや、昔の情熱さんは気が違った眼をしてました」だって。そんなこと言われる?「気が違った眼をしてる人」って、気が違ってる人以外に見たことあります?


それはともかく、よくも悪くも丸くなったものの、いまだに上司に「俺は、いや人間は、太陽にならないといけないんですよ」と平塚らいてうばりの演説をかまして退職告げるあたり、まだ尖ってる部分は残ってるんじゃろな、と思う。以前は尖りっぱなしのカミソリ野郎だったのが安全カミソリ野郎になったっつうか、すいません最近、文章書いてないのでうまい比喩が全く出てきませんが、そんな感じだといいですね。安全カミソリだといいです。


また一段落ついたら、ゆっくりといろんなことを整理して書いていこうかなと思います。

最近は退職するにあたって引継ぎ作業が思いのほか忙しく、そっちで頭がいっぱいでして、思ってたよりいろんなもの抱えてたんだなと思う。何でも自分でやりたがるガキみたいな人間だから引継ぎも苦手だし、自分を中心に世界が回ってると楽しくなっちゃうし、人間は太陽なんだし。


ということで、また東京にいる間に、各位いろいろ俺の退職金(駄菓子程度しか出ないけど)で呑んだり語ったりしましょう、って嘘みたいに穏やかなエントリだな。丸くなったんだね俺も。インターネットが丸くなったのかもしれないけどね。地球は丸いって判明したときから天動説は崩れたわけだけど、そういうことかもしれないですね、人間も(?)
それじゃ、今後とも何卒よろしくお願い致します。

ではでは。

オフィスで鼻唄を歌う

日記

某月某日。

近所の老舗の喫茶店でモーニングをする。

朝11時まではコーヒーに+50円すると厚切りトーストとゆで卵がセットになる。11時まで、とたしかに看板に書いてあったはずなのだけど、マスターは12時過ぎに入店した客にもモーニングサービスを積極的に勧めていて、一日中モーニングサービスを実施しているとかいう名古屋某所の喫茶店はこんな感じの人がやってたのかなと思った。

それはそうとこの店、老眼鏡では間に合わないらしく、新聞をいまどき虫眼鏡で読むタイプのマスターが一人で切り盛りしていて、客は朝から5人くらい店内にいる感じかな、常連とおぼしき人たちが出入りをしている。マスターは店内放送のラジオから流れる歌に合わせて楽しげに鼻唄を歌いながらコーヒーを淹れてくれて、コーヒーの味がよくわからない俺にはうまいとしか言いようのないコーヒーが出てくる。ああ、これだな、と思った。これだよ、鼻唄だよ。

 

はっきり言えば俺は、今よりもっと待遇のよい職に就きたい、もしくはもっと面白い、やりがいのある仕事を、自分に適した仕事をしたい、ということをあまり思っていない。いや少しは思ってるけどそれよりも、このマスターみたいに鼻唄を歌いながら仕事ができたらそれだけでいい、とそれは本当に思う。

だいたい俺は実家にいると、自分の部屋にいるとき以外はだいたい鼻唄を歌いながら家中をうろうろしていて、家族に不満もありつつ円満なのはそれのおかげだと思う。鼻唄が出てるときはまずイライラしない。実際、実家にいて鼻唄が出るのは実家が落ち着くからではなく、鼻唄を歌ってるから落ち着く、という逆転現象が起きている気さえする。ちなみに俺の親父は鼻唄どころかところかまわず本当にマジで歌い出すので、近所にも聞こえていて、俺の控えめな鼻唄はまったく問題にされない。幸いなことだ。(親父は最近ひとりカラオケにハマったせいで声量が日ごとに増してきて、声量ばかりか歌い出す頻度も上がり、スーパーで買い物をしている間にも歌い出すなどゆゆしき問題になっているが、それはまた別の話)

 

それはともかく俺は会社で鼻唄を歌いながら仕事をしたい。
思い出すのは前の部署、営業部にいたとき、年配の上司は「よいしょ」「えーっと…」「えぇー!」とひとり言を発する方がかなり多く、俺もそれが伝染ってしまったのか、「よいしょ」と頻繁に言うようになった。今の部署に来てからも最初のころはひとり言を連発していて、しかし他の方々が静かにだんまりと仕事をしているせいか、次第に俺もひとり言を発する気がなくなって現在に至るのだけど(かわりに隣の席の新入社員の女子が俺のかわりに「よいしょ」とよく言うようになって、それは大変いいです)、考えてみればあのひとり言は俺にとって鼻唄の代わりだったのかもしれない。
必ずしも居心地がいいとは言えない空間に、さりげなく自分が介入する余地を、楔を打ち込む。それが鼻唄なりひとり言の重要な意義である。だからもっと俺にぶつぶつ言わせろ、と強弁できればいいのだけど、そうもいかなかったりしますね。でももうちょっとひとり言は積極的に言っていこうかな。

 

そういえば飲食店やコンビニの接客。お客様にニコニコ笑顔で明るく接客しなさい、とはマニュアルに書くまでもなく当然のこととされるのに、鼻唄を歌ってもよいとは絶対に言われないもんな。楽しそうに接客するなら鼻唄も歌えばいいのに、と言いながら、鼻唄歌うコンビニ店員がいたらちょっと嫌ですね。まあこれはコンビニが悪い。
アニメや漫画で鼻唄を歌いながらコーヒーを運ぶ喫茶店のバイトの女の子とか出てくるじゃないですか。あれ最高にかわいいと思うんですけど、みんな本当は店員さんが鼻唄を歌ってくれるのを期待してるんじゃないの。
インド映画なんて主人公といっしょに店のおっさんたちが突然踊りだしてハッピーエンドを迎える、みたいな日常からミュージカルに切り替わっていく演出で有名だけど、ああいうのを待望してるんじゃないかと思います、我々の心は。インドあたりはそういうのが強く残ってるんだろうな。

 

ともかく鼻唄を歌えば不真面目、ひとり言がデカけりゃ狂人、みたいな発想は誰も得をしないので積極的にNoを言っていきたい。そういうところから自分が介入する余地がなくなって世の中がルールでがんじがらめになるのであって、どんなものであれ鼻唄っつうのは一種のプロテスト・ソングなわけですよ。

 

まあそれとはべつに、俺は自分の仕事の勉強をしないといけない。仕事がさっぱりできなくて鼻唄歌ってたら本当にバカになってしまうので…

というわけで複式簿記とかいう悪魔の発明をしたどこぞのヴェネツィア商人をひっぱたいてやりたい今日このごろなのだ♪(バラード)

26歳になった話

各位

 

お世話になっております。

標記のとおり26歳になりました。おー。

 

しばし考えてみたけど「おー」以外の感想がなにも出てこないあたり26歳とは何の節目でもないのかもしれない。何の節目でもない年。でもこういうのを重ねて、ひょろひょろの苗木が大樹へと成長するように、年輪を重ねていくがごとく成長できていたらいいんですけど、バウムクーヘンってあるじゃないですか。切り株を模した洋菓子。ドイツ語で「木のケーキ」だそうだけど、ちょっと機械でくるくる巻いただけのくせに何が木のケーキなんだろうな、歪み一つないつるっつるの気の抜けたぐるぐるで年輪を模しやがって。

俺の人生なんてバウムクーヘンみたいなものかもしれないですね。真ん中が空洞というところもポイントが高い。ライフ・イズ・バウムクーヘンにしましょうかね、このブログもね。

 

中身のないことならいくらでも書けるんですけど、いくらでも書いたところで仕方ないので、近況報告をさせていただきます。

 

歯医者に噛み合わせが悪いと指摘されてしまった話

「(この噛み合わせでは)噛めない」と端的に言われてしまった。どうりで噛むって難しいよな、と自分でも長らく思っていたわけで、26歳にして「食物を噛む」という、生後6ヶ月の犬ころでもできている課題に挑戦している今日この頃です。

 

異動した話

7月から部署を変わったんですよ。新しい部署、業務量的にはそこまでハードでもないんですが、精神的にはちょっとハードなところがありまして、仕事を終えるころには頭が働かない、帰宅すると死んだ頭で金田朋子さんのラジオを聞くのが日課になっています。何も考えなくても笑ってしまうのは本当に偉大で、最近とうとう金田朋子さんを人間として尊敬するまでになってしまった。

 

完全にグッチ裕三を食ってるラジオ 

 

掘り下げれば掘り下げるほどこの人はおもしろいんですけど、なんというか芸を自分の生き方にしているというか、全部を冗談に変えてしまうような芯の強さが本当にすごい。人間ってのはこう生きなきゃダメですね。つらいだの何だの言ってるうちは二流だな、と金田朋子さんの声を聞くたびに思うんですけど、立派に生きるぞ。

 

文章とか

ブログ、ツイッターともに止まってました。いやまあ、新しい仕事を乗り越えるために、わりと真面目に勉強はしてたつもりなんですけどね…。

とりあえず文フリの寄稿以来が3つほど来てたりするので、そっち方面でいろいろネタを考えてる、という感じです。ブログで書いてもいいんだけど、ネットで一旗揚げてやろう的な野心が以前ほどはなくなってしまった。まあ最近のはてなが全然魅力的じゃないな、というのもあるし、現実の仕事に見通しが立ってきたからこそインターネット上のアーチスト活動が疎かになっているわけで、良くも悪くも、という感じではあるんですが。

 

でもまあ、ありがたいことに、寄稿の依頼とか創作関連の相談を受けたりはちょくちょくあって、俺もそういう期待に応えられる程度には立派にならねえとな、とは思ってます。

最近のマイブームが「徳」という概念なんですけど、徳のある人間になりたいですね。「才能」という概念が、なんかいけすかなくて嫌いなんですよ、俺は。徳っつうのは、人柄だけじゃなくて、実務能力も試されるからね。古来中国では、徳のない皇帝は革命によって殺される運命だったのだからね。徳のある人間になりたいですね。あと赤ちゃんプレイもしてみたいですね。こないだ池袋の路地裏を歩いていたら、目立たないところに昼間から行列ができていて、へえ、こんなとこにおいしいお店があるのか、と思って列をたどってみるとインターネットでも有名な優良ピンサロの順番待ちでした。びっくりしちゃったね。なんでこの話したんだろう…。

 

そういう感じです。

26歳になった小職をよろしくお願いいたします。ピース。

排外デモを見てきた

デモを見てきました。沿道で腕組みしながら眺めていたら、物腰の柔らかな青年からこんなビラをもらった。もしよければいっしょに掲げてください、とのこと。

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「帰れ!」というのが奥ゆかしい

 

デモ隊は演説者を乗せた車を中心にして車道を行進、『バカチョン帰れ!バカチョン帰れ!*1』などとスピーカーが壊れてるのか、人間が壊れてるのかわからない、罵詈雑言のリフレインが一番目立ってよく聞こえるという、いかにもこういうデモらしいデモ。この団体が行進する前後左右を警官の列ががっちりとガードしていた。

警官は100人以上いたかな、デモの規模の割にかなり多い印象だった。というのは俺がビラをもらったように「差別反対デモ」が並行して行進しているからで、デモ隊のアジテーションに対して沿道からは差別をやめろという趣旨の声がわあわあ飛ぶ。その勢力間で武力衝突が起きないよう、警官が出動しているらしい。とにかく騒々しいのと警官がうじゃうじゃいるのとで、街の雰囲気も物々しく、「何があったんですか?」と近隣の住民らしき方々から三度、声をかけられた。俺は終始にやにやして突っ立っていたから、こいつは野次馬だなとわかりやすかったのかもしれない。

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警官が多くてテンションが上がる


デモ隊が陸橋を超える箇所はみどころだった。広い車道を歩くデモ勢力に対して、人ふたり分ほどしかない狭い歩道を反差別グループの集団がぎゅうぎゅう詰めで並行して歩き、柵越しにヤジを飛ばしあう。

陸橋を渡り終えたところで、差別勢力はすーっと大通りのほうへ曲がっていくのに対して、せまい歩道側の終点には警官が数人でスクラムを組んで待ち構えており、反差別勢力を足止めする。警官隊が防護体制をつくるまで、時間稼ぎをするのが目的らしい(写真左端に固まっている警官たちがスクラムを組んでいる)

コノヤロウ通せよ!と警官に向かってわあわあわめいている間に、デモ隊はざまあみろとアンチデモ隊を煽りながらすーっと遠くへ消えていく。アンチデモ隊の一人は警察の足止めにしびれを切らし、陸橋の柵を横から飛び越えて、走って強引にスクラムを突破しようとするも、すぐに警官が走り寄ってきて捕獲された。さっきまで威勢よくバカヤロウだの何だの言い合ってたのに、逃げる側も本気で突破しようとは考えていなかったらしく、捕まってしまうとあっさり観念して、警官とにこやかに談笑していた。警察24時でもこんなの見たな。


スクラムが解除されると反差別の会は、デモが向かった方向へと走り出した。警官の何人かも同じペースで併走している。横断歩道をわたる途中で信号が赤に変わり、しかし何人かは、信号を無視して突っ切っていく。
「信号を守れ!」とメガホン越しに大声で威嚇する警官に、道路の向こう側では「うるせえバカ!デブ!」とひょろっとした男が自前のミニメガホンで応戦していた。デブは差別だろ!

当人たちは本気なのだけど、俺はといえば、小学生かよ、と思って爆笑してしまい、いっしょに信号待ちをしていた反差別勢力の方々に寒い目で見られました。申し訳なかった。

信号待ちの時間、「おまわりさんも言いすぎだよ」と反差別組の長老的な存在らしい人が、先ほど叫んだ警官を諌めていた。まあそうなんですけど……といった顔で苦笑する巡査。さっきまで早く通せだの、こんなデモやらせるな、など叫んでいたのに、意外と和やかな雰囲気である。
長老はつづいて近所からやってきたらしい子供2人組に話しかけた。俺たちはガラは悪いけど、心は悪くないんだ、ガラも悪くて心も悪いのはあっちなんだよ、と諭し、サングラスで小太りの中年日焼けおじさんが茶々を入れる。一昔前のドラマとかで見たような光景だ…。こういうのは苦手というか、ウソっぽくて俺はつい笑っちゃうのだけど、あんまりニヤニヤしてると絞め殺されそうなので我慢した。


デモ隊は大通りから路地に入って公園をぐるっとまわり、再び大通りへ戻ってJRの駅構内へ入る。駅のホームで解散らしい(遠足みたいだ)。
警官は駅の中まで長い列を作り、がっちりブロックしていた。デモ勢力がSuicaで改札を抜ける間も、反デモ勢力と煽り合いをしていた。子供がケンカ別れしているみたいで微笑ましい。

数人の警官は改札を抜けてデモのメンバーに同行していた。俺もついていく。エスカレーターでホームへ降りると、下は何やら騒々しい。ホーム側のデモ勢力と、線路の向こう側に集結している反デモ勢力が最後の煽り合いをしていた。

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こんな狭いスペースで応戦しあう


このホーム、お互い顔を合わせないで済む場所はいくらでもある。むしろ見送りできる場所は、本当に狭い、上の写真のピンポイントにしか存在しないのだけど、わざわざその貴重な地点へ集まって双方ヤジを飛ばしあう。日の丸Tシャツを着た男が尻をペしぺし叩いて煽り、反デモ側が「線路から飛び降りろ!」と声のボリュームを上げる。警官は苦笑して日の丸を眺めながら、時おり仲良さげに談笑していた。

ホーム側の集団は概して、お疲れさまですねといった和やかなムードになっていた。この日は少し暑いくらいのいい天気で、このあとビール飲んだらうまいだろうなと思った。

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日の丸と談笑するおまわりさん

その後、電車がやってきてデモ勢力は解散した。電車の中まで警官がついていくらしいのには少し驚いた。どこまでついていくのだろうか。
フェンスの向こう側の反デモ勢力も解散し、デモは終わった。駅に集結していた警官たちは長い列を成して警察署まで帰っていく。こちらも緊張がほぐれ、ああ祭りが終わったな、という感じだった。
日曜の昼下がり、1時間半ほどのデモは特に問題もなく終わった(と思ったら、デモがはじまる前に暴行事件が起きていたらしい。後日聞いてびっくりした)

***

思ってみるとしかし、このデモはかなり楽しい。反デモ側には結構良さそうなカメラを肩に掛けて、写真を撮りながらビラを配っている青年が何人かいたのだけど、目がいきいきしていた。デモというと殺伐としたイメージもあるけれど、なんというか、参加者の笑顔のほうが印象的だった。警官もけっこう笑っている。

「互いの勢力は対立が激しく、武力衝突が起きないように警官が守っている」と書いたけれど、これは正しくないかもしれない。むしろ警官がしっかり安全を確保しているからこそ、あれだけ気持ちよく騒げるのだし、対立の図式も作れるのだろうなと思う。いつ武力衝突があるかわからない状況だったらこんな騒ぎにはならない。事態はもっと緊張するはずで、そういうタイプの緊張感はなかったように思う。
誤解を恐れず言えば、これはいいプロレスだなあと思った。ヒールとレフェリーがいてはじめてプロレスが成立するわけで、そうでなければただの殺し合いになってしまう。なんというか、役割分担がよくできている。

それで警官もこんな人数が本格的に集まってシリアスな顔でガードしてくれるのだから俄然盛り上がるに決まっている。こんな非日常は確かになかなか味わえない。警官は良くも悪くもお祭りを盛り上げる装置として機能している、という印象だった。
たとえばの話、この排外の対象が中国人・韓国人ではなくて、鬼や天狗の末裔を排外の対象にして、鬼は村から出ていけ!みたいなノリだったら、そのまま立派な奇祭になるのではないか。そうなったら本当のプロレスですけどね。

 

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住宅街をメガホン持って練り歩くタイプの奇祭

しかし「安全な位置から互いに言いたいことを叫びあう」という今回のデモは、やってることが子供のケンカと同じに見えて、端から見たらやっぱり笑ってしまう。当人がシリアスならシリアスな分だけおもしろい。これ、どの勢力が悪いという話じゃなくて、この状況そのものが、カフカ的な不条理感があっておもしろいんだと思う。頑張るほど間抜けに見えてしまう悪魔のシステムというか。

まあでも、外から見れば喜劇にしか見えないものが悲劇的な結果を生んでしまったのが昔の連合赤軍だったりしたよな、ということもあるし。実際に暴行事件も起きているわけで、あまりへらへら笑ってるばかりでもない。俺は俺で真剣に考えてるんだ。

あと排外デモを警察は禁止すべきだ、という声もたまに見るけど、どうなんだろう。今回を見る限り、デモは体のいいガス抜きとして利用できるなという印象で、取り締まったほうがかえって激化するのではないか、と思わないでもない。デモがあれば警察だって仕事ができるし。
実際、デモは現状みたいな形で、安全に管理しておくのが賢いやり方じゃないですかね、統治する側からすれば。このデモが社会を変えるとはまったく思わないし、双方ともにいいガス抜きになるような。

あと『反中国・韓国』といった枠組みを外してしまえば、両勢力の少なくない人たちは仲良くできちゃうんじゃないの、という印象も正直あった。巨人ファンとアンチ巨人は似ているみたいな話で、こんなことを言うと怒られそうだけど、なんというか、根本はかなり似ているような…。まああんまり言うのはやめます。

余談だけど、俺はメガホンという機械がどうも苦手だなと思った。どうもメガホンを通した音色は、周囲を威圧するため機械的に増幅されているものとしか思えなくて(だから使っている当人は気持ちいいんだろうけど)、あんなの握ったらもうケンカしかないじゃん、と思う。メガホンを使ったら声が届かなくなる、ということだってあるのにな。

というわけで、メガホンを使わないだけでデモの雰囲気ってかなり変わると思うんだけど、どうでしょうか。「声がデカいほうが勝つ」と考えるのは結構だけれど、それって私は聞き手を信頼してませんと自ら公言している気がして俺は嫌ですね。声がデカいほうが勝つ、がほとんど現実だとしても、そういうもんだって安易に乗っかるのは言葉をあきらめることと同じじゃないのか。

ともかくデモは勉強になるから一度行ってみると面白いと思う。すごくおすすめです(神に誓って皮肉なし)。

*1:これ聞きすぎて、デモが終わる頃には「帰れ!」が俺のなかでおもしろワードと化していた

きのうは文学フリマ

日記

文フリいってきました。感想です。

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稀風社ブースの様子

 

稀風社の『海岸幼稚園』ですが、草稿でもう読んでたんだけども、冊子になったやつ読むとあらためていいな~と思った。ねむるさんのブックカバーはすごいセンスだし、えすにさんの漫画は良すぎですね。こういう薄い感じの女の子イラストが大好きなんだ俺は。

自分の原稿はこう、縦書きで見るとちょっと空気が多いなと思った。横書きだと改行を多めに入れるんだけど、縦書きはもう少し続けてもいいのかもと思う。今度から縦書きで書こう…。

とはいえ内容はよく書けてるかなと思います。宮内さんに褒めていただいたのは本当に励みになった。各位も褒めてくれていいんだぞ。

 

以下、各サークル新刊の感想(感想書くのはクソ苦手なのでご容赦ください)

 

手紙魔まみトリビュート。限定版がめちゃくちゃオシャレで買いたかったのだけど、売り切れてしまった…。

オナホ男のデザインを担当してくれた倉又さんがデザインをやっていて、愛だなと思った。倉又さんが今まで見たなかで一番元気そうなのがよかったです。職場の環境が良いのかもしれない。

収録内容もよくて、あっ、かみはる氏のふわふわした短歌よかったですね。あの人はリアルまみみたいなものなんだろうか。

 

善浪さんのアヴァロンの王杯。

焼肉がうまそうな文章(本当に)。こういう文章が書ける人は焼肉に失敗しないと思う。この世には「焼肉のうまい文章」が存在します。

 

カラフネの『しあわせはっぴーにゃんこ』。

ツイッターでも書いたけど、ぽたちゃんの自撮り小説『セルフィ』がすごくいい。江戸川乱歩山田風太郎を読んでるって聞いていたので、読んでなるほどと思った。端正な文章からさも自然に非現実を作り上げていく感じ。いま若い人でこういう文章が自然に出てくるなんてなかなか稀有だと思う。

それとはるしにゃんの生存報告を聞いて安心。はるしにゃんは詩の人だと思ってたのだけど、今回の小説はその文体を持ち込んだ感じで、海外現代文学にちかい印象。元気になってくれ~。

ひえきさんの真っ白な岩壁みたいな文章(これで伝わるのか…)、夜空さんの短歌とは違ったかっちりした文章、きのせいさんは器用ですね、王道のエンタメ感というか余裕を感じさせる文体、それからからてさんの綺麗な〆など、執筆陣がしっかりしてるなと思った。

 

文体の話ばっかりしてるのは、俺が文体フェチだからですね。なんだかんだ文フリは、いろんな文体に出会えるところが楽しい。

 

文体といえば帰らせてくれの新刊『試験が近くて花を食う』。すごくよかった。前刊に比べて二人ともいい。

ちんちん花火くんは前回と同じく、あれだけ暴れながらいっさい嘘を書いてないっていう奇跡的な文体で、かつ今回は物語の方向にはっきり踏み出していたと思う。それは絶対正しい。

直泰くんの小説もすごいよくて、特に二作目『正しい生き方宣言』はいま小説でやれること全部詰め込んで正解を出しに行ったんじゃないか、と思う。構成もしっかりしてる。

 

二人ともすごい真面目で、嘘を書いてないのが一番いいと思う。いやフィクションなんだけど、根本のところでごまかしてない。ズルさがない。そういう「人生の態度」みたいなものが文章書くうえで一番大切だと思うので、これから本当に伸びると思う。

「嘘が書けない」という前提があるからこそ、たぶん二人とも文章を書いてるうちに「これは嘘だ」って思った端からひっくり返していくから文体・構成は暴れてるようにみえるんだけど、それは本当のこと書こうとしてる証拠だと思うんですよ。俺の経験で言ってるだけなんだけど。

文章を波形でたとえると(1)「/\/\/\/\/……」こんな感じが(一本筋を通すために暴れているイメージ)だとすると(2)「~~~~~~~……」とか(3)「―――――――……」みたいな文体も使えるようになると、書き方に幅が出て書けることも増えるし、長い文章書いても息切れしにくくなる。

ちん花くんは(1)をずっと使ってて(しかしこれだけジェットコースターみたいに振れ幅が凄くて軸がぶれないのは本当にすごいと思う)直泰くんは今回(1)と(3)をうまく使い分けながら構成してる印象だった。ネットで公開してた小説もそうだけど、(3)の文体がちゃんと使えるのは直泰くんのすごいとこだと思う。結構しんどいと思うんだけど。

 

さっき言及したぽたちゃんは(2)に近い文体で書いてるイメージで、こういうのは難しいんだよなと思ったりする。

しかしまあ自分のなかにいろんな文体を持っておくのは生きていくうえで本当に大事なので(文体は思考の枠組みそのものだと思っているので)とにかくいい本とか読んで頑張ってくれ~。今回の作品自体もよかったけど、何よりちゃんと正しい方向に向かってるのがよかった。

 

偉そうに書いてしまったけれど、俺ももうじき26歳といい歳になるわけで、年上がウソでも偉そうにしてなかったら、下の人間は困ってしまうじゃないか。「大人になる」とはそういうことじゃないか、ということを俺は、橋本治や宮﨑駿、それから肉を食べさせてくれた偉大な社長から学んだ気がします。

職場にもいよいよ後輩が入ってきたわけで、とにかく人生のあらゆる場所で、偉そうに振る舞うべき場面で偉そうに振る舞って、文句を言われない程度にはそれなりの実質を備えなければ、頑張らなきゃいけない、という感じですね。これも自分にウソをつかずウソをつくということで、やっぱり人生とは文学だったのだ。

世界とは巨大な文学フリマである。文学フリマ事務局は最高。

あしたは文学フリマ

日記

明日は文フリです。

「海岸幼稚園に寄稿しました」←これの後半部

さんざっぱら告知してるんですがまあ半年に一度のお祭りなので。

終日会場にいる予定ですので、ぜひぜひブースで俺に声を掛けていただくか、リプライ飛ばすか、「わざわざ東京モノレール乗って冊子買いにきたのに会おうともしないじょーねつはクズ野郎」とでもツイートしていただければエゴサーチして飛んでいきますのでよろしく。

ところでいつも思うんですが、有名人に声ってかけづらくないですか。いや俺はべつに有名人じゃねえけど、ネットの人たちがやってるイベント行っても、声をかけづらい。自分も出演者だったらともかく「客と作り手」って立場になるとこれはダメですね、相手が一般人でも。文フリや大喜利やカス動画祭なんかで挨拶できたらな~と思いつつ、俺のことそんな知らないだろうし、俺ごときがあいさつってなんだよ、と思って何も言えず帰路につくこと山のごとし。

しかし自分の立場になってみると、応援してますとかブログ読んでますとか言われるとめちゃくちゃ嬉しいので、そういうのは絶対に声かけたほうがいいんでしょうね。そうだよな。なんか今日は当たり前のことを書いてるぞ…。

 

そんなわけで「ブログ見ました!」と言ってくださったかたには、サインの代わりに俺が会社で使用しているシャチハタをインクが続くかぎり押させていただくことにしたいと思います。俺の名字を知れる大チャンスなので、ぜひ逃さないでください。

まあ文フリの雰囲気はあんまり得意じゃなくて、ブースまわりで黙って本読んでると思います。最近オープンした某アパレルチェーン店舗に入ってみたんですけど、文フリ会場ってこんな感じじゃないですか。

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こんな感じだと思うんだよな。よろしくお願いします。

いきなりはじめる短歌入門  題詠編

短歌

短歌ってどこがいいのか理解できない。何を題材にすればいいかわからない。理由はわからないがとにかくキモい。そう思ってやまない短歌ビギナー各位は「題詠」という遊びからはじめてみるといいかもしれません。 題詠には世界のすべてが詰まっています。

題詠とはなんぞや?

読んで字のごとく、決められたお題を短歌の中に詠み込むのが題詠。

実例を見たほうが早いですから、さっそく紹介していきましょう。

お題は「つるはし」。集まった短歌は以下の4首。 

お題:「つるはし」

 

(1) 柄にプロ野球する人やったじいさんの『8』てほったつるはしもってる

 

(2) ツルハシ魔跋扈(はびこ)る街の夕暮にTVクルーが捜す順光

 

(3) 群れなして鳥と時代は過ぎ行けり鶴嘴島に初雪が降る

 

(4) つるはしが錆びないように人いきれ街、、雨、、全部蒸発

 

引用元:稀風社配信第5回記録

 

以上の4首から1つ、もっとも優れていると思うものを選びます。そのあと選んだ理由等についてみんなでわあわあ論じ合うというのが題詠のざっくりとした流れ。

みなさんも少しだけスクロールする指を止めて、4首の中から1つ、よいと思う歌を選んでみてください。そのさい「なぜ私はその歌を選んだのか?」と他人に説明できるような理由も考えてみましょう。

 

…さて、こう思った方もいるかもしれません。何をもって「良い短歌」というのだ?どういう基準で選べばいいの?理由はわからないがどれもキモい、等々。

そんな貴殿に朗報です。題詠はふつうの短歌と異なり、ちゃんと押さえるべきポイントがあるのです。そのポイントとは…

「お題をうまくいじれているか?」

はい、お題に注目してください(題詠なので)。

今回のお題は「つるはし」です。つるはし。つるはしを知らない人はおそらくあまりいないと思われますが、つるはしを日常的に使っている、毎日のように目にしている人は日本人の1%にも満たないのではないでしょうか。

おじいさん、おばあさん世代ならばともかく、われわれ現代っ子の生活からは遠くはなれてしまった「つるはし」は、言うなればクラスの中で存在を忘れられてしまった影の薄い子。「ああ、クラスにそんなやついたなあ…」という、その程度の存在感です。そんな一見さえないやつだけれど、話してみると実はすごくおもしろい。岩も掘れれば人も殴れる。個性的で魅力のある子である。

 

さて、そんなポテンシャルを秘めた地味っ子をわれわれの手で、どのようにプロデュースするのか。どの部分をいじってやれば、その子の魅力が引き立つのか。31字という厳しい制約のなかで、その子がいちばん輝けるようスポットライトを当てること。それこそが題詠の醍醐味であり、各人が磨きをかけた技を競い合うスリリングな頭脳ゲームたる所以でもあります。

ですから題詠においては、短歌の良し悪しはひとまず置いておいて、「つるはし」がどう活用されているのかにご注目ください。もっとも魅力的なつるはしさばきを見せているのは、はたして誰なのでしょうか…?

 

~鑑賞編~

では実際に、1つずつ見ていきましょう。

 

(1) 柄にプロ野球する人やったじいさんの『8』てほったつるはしもってる

 

「これが短歌…?」と面食らうかもしれません。音を数えると「7・7・5・6・8」。定型を外れているし、「白鳥は悲しからずや…」的な抒情感もなければ、「7月6日はサラダ記念日」的なロマンチックさもない。最後は「つるはしもってる」という「だからどうした」感のあるフレーズで締めくくられています。

しかし思い出してください。今回のお題は「つるはし」です。ポエミーな要素はほとんどない。俵万智は絶対につるはしを持ちませんし、西野カナもつるはしは持たない。ざっくり言ってしまえば、つるはしは「ドカタ」のにおいを濃厚に感じさせる、汗臭いアイテムです。その意味でこの作は、歌全体のぎこちなさを含め、つるはしから放たれるドカタの匂いというか土くささを素直に活かそうとしているような印象を受けますね。

 

ところでこの短歌、小さな子どもが話している姿を思い浮かべた方も多いのではないでしょうか。おそらくは関西在住の、元気な女の子。そう読み取れるとしたら理由はおそらく、この歌の変わった構成にあります。

「柄にプロ野球する…」という字余りかつヘタクソな語順で切り込む唐突さ、関西弁特有の口語感、「プロ野球する人…」という、いかにも野球に興味のない子供が聞きかじりで野球を語っているような言い回し、「つるはしもってる」というだからどうしたんだよ的な身も蓋もなさ。女の子に思わせるような仕掛けになっています。

 

一読ではつたないようですが、文体の操作だけで女の子の姿を連想させるその手腕はテクニカルで、さすがは東のアルファ短歌ツイッタラーこと俺というところでしょう(残念ながら25歳の会社員男性が詠んだ歌でした…)

 

それはともかく短歌に戻ります。

自分がプロフェッショナルとして活躍してきた証明たるナンバー「8」を、生活の道具であるつるはしに刻み込んでいるおじいさんの誇り(「つるはしを持つプロ野球選手」というのも、世代特有でしょう。「プロ野球選手」ではなく「プロ野球もする人」という感じ)。そしてその孫娘が、野球はよく知らないんだけど、プロ野球選手だったおじいさんをとにかく自慢したいがために、じいちゃんの背番号入りのつるはしをわたしはもってるんだよ!と何ともかわいらしい主張をする。

 

時代から取り残されつつあるアイテムである「つるはし」は、われわれ現代っ子にとっては実感のわきにくいものですが、そこに誇らしいおじいさんの刻印が打たれることにより、今を生きる子どもの世代にもかすかにつながってくる。

その意味で本作は、現代におけるつるはしの立ち位置を素直に受け止めつつ、チャーミングにスポットライトを当てた、イレギュラーな見た目とは裏腹にかなり正統派な一首と言えるのではないでしょうか。

 

(2)ツルハシ魔跋扈(はびこ)る街の夕暮れにTVクルーが捜す順光

 

先ほどの短歌はお題を素直に活かした歌ということで最初に紹介したのですが、本作はがらっと毛色が変わる。つるはしの土臭さはどこへやら、カタカナからアルファベットから難漢字、とスタイリッシュな字面が並び、「無臭」という感じがします。

つるはしは「ツルハシ魔」という造語に使われています。「通り魔」の仲間でしょうか。ともかく「ツルハシ魔」は通り魔と同じように、この歌の世界ではひとつのトピックとして扱われるほど、おなじみの存在となっているようです(俺はちょうど「鉄コン筋クリート」のような、ちびっこギャングが街を攪乱する近未来SF的な世界を思い浮かべました)

 

ここで描かれている「つるはし」は、実物のそれというよりも、ゲームや漫画などフィクションに登場する記号としてのつるはしのイメージに近いですね。風来のシレンminecraftに登場する、フィクション世界における武器としてのつるはし。

が、ここでのツルハシには冒険の道具みたいなウキウキ感はあまり感じられず、むしろ冷たい、暴力の記号化された姿を感じます(ツルハシ魔だから当然だけど)。

 

「ツルハシ魔」たちが人を襲うのにつるはしを使う必然性はありません。手っ取り早く人を襲うならナイフや銃や金属バットでよいわけで、そこでなぜつるはしなのか? 理由はわかりません(書いてないから)。が、このフレーズにはなんとなく説得力を感じる。「ツルハシ魔」なる存在はいてもおかしくない気がする。

ここでのツルハシはどこかファッション感覚があります。匿名の人間たちがノリで暴力を振るっていて、その共通の証としてツルハシを、ファッション的な記号として使っている。

 

つるはしが完全に生活の場面から切り離されたとき、それは単純に、殺傷能力を持った鈍器としての性格しか示さなくなってしまうんですね。その性格を極端に誇張させ、ある種のパロディ世界を作り上げたのが本作ともいえます。

 

またツルハシ魔が蔓延しているというのに危機感もなく事務的に順光をさがしているTVクルーも含め、ここでは冷めた視線が徹底されている。この点、つるはしというガジェットを用いて人のつながりや暖かみを感じさせた1首目と対照的ですね。

 

記号化してしまったつるはしに生活の痕跡を刻むことで息を吹き込んだ前首に対比して、こちらの「ツルハシ」は現に活用されているにもかかわらず、つるはし本来の意義はもはや死んでいる。ただの鈍器としてのツルハシです。

前首が「つるはしのグッドエンド」なら、本作は「つるはしのバッドエンド」でしょうか。題詠だからってつるはし視点になる必要はないんですけども、しかしこれもまた、つるはしにとって一つのありえたリアリティを描いており、面白い一首になっているのではないかと思います。 

 

 (3)群れなして鳥と時代は過ぎ行けり鶴嘴島に初雪が降る

 

つるはしは漢字で書くと「鶴嘴」。ツルのくちばしを模した形からそう呼ばれたんですね。この歌は漢字とひらがなのバランスもよく、語調も整っており、一般的な短歌のイメージにもっとも近いと思います。

さて、この歌でつるはしは生の姿で使われず、「鶴嘴島」という地名の中に組み込まれている。鶴嘴島とは、つるはしの形をした島なのでしょうか。それともかつて数多くのつるはしが運び込まれた、鉱山地帯のような島なのでしょうか。上の句「群れなして鳥と時代は~」からは、かつて鳥群のように多くの人間が密集して生活を営んでいたものの、そのにぎやかな時代も過ぎ去ってしまったという印象を受けます。

 

そして下の句。その寂れた(錆びれた?)鶴嘴島に、今年も初雪が降った。

「初雪」という概念は、人間がいないと成立しないものですね。時間を1年単位で区切って、この雪は今年初めての雪だって騒ぐのは人間しかいない。暦が存在しなければ、初雪もラスト雪もないわけです。いまや人間の姿も消えさびしくなった鶴嘴島にも、天候を観測している人間が残っている。

そのさびしくなった鶴嘴島は、今や人々から遠く離れてしまった古い道具としてのつるはしのイメージとぴったりシンクロしている、と言えるのではないでしょうか。

「鶴嘴島」というオリジナル地名に賭けたのはかなり大胆ですが、結果的に非常にうまい活かし方になっているのではないかと思います。先の二首と比べても独特ですね。

 

先の二首は一見対照的ですけれども、どちらとも形骸化した、記号化したつるはしというアイテムをどのように世界の中へ放り込むか、という点に工夫を凝らしていました。片方は現実の世界、片方は近未来的なフィクション世界という違いはあれ、どちらも「つるはしのある風景」を詠んだ点には変わりがない。

ところが本作、生活から切り離されて記号化した「つるはし」という概念をそっくりそのまま記号として、「鶴嘴島」という地名に組み入れて扱っている。実体としてのつるはしを扱った先の二首とは発想が異なるわけです。このあたりはさすがに短歌のキャリアがもっとも長い、三上さんらしい手腕といったところでしょうか。

ここまで見ても、三者三様のつるはしさばきが見えますね。「題詠ってなかなかおもしろいじゃん」と俺は書きながら思ってしまいました。 

 

(4)つるはしが錆びないように人いきれ街、、雨、、全部蒸発

 

ラスト。問題作かもしれません。

「人いきれ」は人ごみの中で発する蒸気のこと。読点は雨が降っている様子をビジュアルで表現したものでしょうか。同時に読点は休符にもなっています。

 

この歌は最後に「蒸発(しろ)」と補うと、意味が通りやすくなります。つるはしが錆びないように水を含むもの、人いきれ、街、雨、すべて蒸発してしまえ、という祈り。大胆に読み込んでみると、ロストテクノロジーとして錆びゆく運命であるつるはしに、「お前はまだ錆びるな」と呼びかける応援歌なのかもしれません。(なんとなくBUMP OF CHICKENっぽいぞ、と思いました。ショベル、ランプ、車輪のようなバンプ感のあるアイテムとしてのつるはし)

 

前掲の3首は、つるはしがすでに古くなってしまったもの、形骸化したアイテムであることを前提にして扱っています。だからそこに現れるのは、すでに失われたものが放つ、(1)懐かしさだったり、(2)冷たさだったり、(3)寂しさだったりするのです。

しかし本作は、まだつるはしは役目を終えるには、己の身を錆びつかせるのには早いのではないか。記号として実体を失ってはいけないのではないか。そう呼びかけている点で先の3首とは明確に異なり、記号として扱いきっていない点が特徴で、これはかなり「熱い短歌」なのではないでしょうか。「近代的自我の芽生え」をつるはしでやったらどうか?という試みのようにも感じられます。

 

ところで本作、題詠の配信中に4人で感想を言い合ったとき、作者本人以外は意味をとりかねているところがあったんですね。これはどういう意味だろうか、と。確かにこの1首は説明不足で、意味が推測しづらいかもしれない。「つるはしよ、錆びるな!」という呼びかけは、少し唐突で面食らうような感じもします。

だけれども、実はこっちのほうがわかりやすいという人は確実にいると思うんですね。先に述べたように「つるはし」に対峙する姿勢は、前の三者と本作には違いがある。その大前提が異なっているからこそ、我々にとっては「なんだこれは?」となるわけで、本作のようなつるはし観が自然な前提としてある方にとっては、本作のほうがむしろ素直に読める。前の三者が「なんだこれは?」となるかもしれない。

 

題詠の醍醐味はこれなんですね。

「つるはし」という一見、つまらなさそうなアイテムでも、そこに個性を見出そうとすれば、各人の認識の違いが現れてくる。つるはし表現を通して、各人の見ている世界が見えてくる。

こうして人によって異なる視点を味わうことこそ題詠の目的、というかそもそも文芸表現とは、そのような楽しみこそ本領だと僕は思うのですが、その意味で題詠は、まさに文芸の王道だと思うわけです。題詠にすべてが詰まっているというのは、こういうわけです。*1

 

題詠はゲームである

というわけで、四者四様の「つるはし」の料理の仕方、おわかりいただけたでしょうか。こんなにバラエティー豊かな短歌が集まるのは題詠ならではだと思います。

 

ところで短歌と言えば与謝野晶子女史のように、己の体を流れる熱き血潮を情熱的に歌い上げるタイプの「自己表現」を連想される方も多いかもしれません。それも間違いではなくて、近代短歌と言えばそのような面も多分に含んでいます。

しかし、題詠はそれとは逆で、「自己表現をしてはいけない」。自分を殺して、つるはしを輝かせるプロデューサーに徹しなければならない、「つるはし表現」になっていなければならないのです。

 

なにせこれがふつうの短歌だったら、「つるはしカッコいい!」という趣旨の歌を詠んだところで「だからどうしたの?」で終わりかねません。しかし題詠はつるはしを輝かせることが目的ですから、そういうつっこみは野暮というもの。サッカー選手に対して「なぜ手を使わないの?」と聞くようなものですね。ゲームのルールとはそういうもので、だから題詠は最低限のルールさえ守ればだれでも気軽に参加できる、文字通り「ゲーム」なんです。

 

短歌が自己表現のような重苦しいものと結びつけられてしまったのは近代以降。もともと短歌(というより和歌)は貴族たちの仲間うちで披露される楽しいゲームとして親しまれ、平安時代より先では庶民の間に連歌(これも連想ゲームみたいなものです)が大流行し、あるいは百人一首に形を変えるなどして、ずっと日本の娯楽の中核を担ってきました。和歌の世界は誰でもウェルカムな、オープンなものであったわけです。その意味で題詠は、歌の本来の姿により近い。「場」をつくり、楽しむためのものなんですね。

 

そして自己表現になっていないからこそ、読む方も気負わなくて済む。気楽にあれこれと話しあえる。ご家族・ご友人との団欒にもぴったりなんです。で、自分を出していないはずなのに、結果的には各人の個性がよく出てきてしまう、というのが題詠の面白いところなんですね。

 

というわけでこのゴールデン・ウィーク。大切な人との時間を、たのしく題詠しながら過ごしてみるのもいいかもしれませんね(僕には大切な人がいません)。

おまけ ー文学フリマのお知らせ

さて、皆様はこう思われているかもしれません。

「なるほど、題詠のおもしろさはよくわかった。しかし題詠ではない、ふつうの短歌はどう読めばいいんだ。やっぱり短歌はおもしろくないんじゃないか。短歌はキモい」と。

そんな貴殿にぴったりの本がある。ご紹介しましょう。

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 歌集「海岸幼稚園」を出します ー稀風社ブログ

 

5月5日(月・祝)の文学フリマにて頒布されるわれわれ稀風社の新刊こと「海岸幼稚園」。

本誌にはこの題詠に参加した三上春海(鶴嘴島~の作者)、鈴木ちはね(ツルハシ魔~の作者)両名の短歌と、短歌を解説させたら日本で一番うまい、短歌界きってのマイクパフォーマーことわたくし情田熱彦による解説が掲載されています。「お題のない短歌はどう読み解けばいいか?」というテーマでもって本記事以上のボリュームでみっちりかつわかりやすく論じていますので、短歌ビギナーの方にも楽しめる本なのではないかと思います。

 

お値段はワンコイン500円。たくさん刷りすぎたせいで大いに残部が期待できる状況となっておりますので、彼女もいなけりゃ題詠やる相手もいない、ゴールデンウィークは暇をもて余して仕方ない各位は文学フリマ会場へぜひお越しいただければと思います。

当日は私もブースにて座ったり立ったりしていますので、「ブログ見ました!」などと声をかけていただければ動きを止める予定です。よろしく~\(^o^)/

 

関連エントリも見ていってくれ

海岸幼稚園特集第1・5回『短歌というトーテムポール』

こっちのあとがきみたいなもの書きました

短歌の要領で大喜利をやってみた

題詠の方法論でお題にボケたやつです

短歌をつくってみた

題詠じゃないときの俺の短歌は壊滅的になります。まあこれはこれで

手紙魔まみトリビュートアンソロジー「手紙魔まみ 私たちの引越し」

同じく文学フリマにて頒布。穂村弘さんの歌集「手紙魔まみ」をお題にして題詠やってるアンソロジーです。稀風社からは三上が参加、また拙作「オナホ男」のデザインを担当してくれた似子さんもデザインに関わってます。足を運ばれる方はぜひ

*1:僕は題詠と連歌、両方ともゲームだから好きなのですが、各人がバラバラであることを楽しむものが題詠、各人がいっしょであることを楽しむのが連歌、という感じがします。その意味で題詠は確実に近代短歌の文脈にある